🍁 京都府の史跡
今日も来てくれてありがとう!よければ一押しポチっと応援してってね〜。長岡京市の道路の片隅に、竹の子が上にのった道案内の石碑がある。
「☝ 与市兵衛の墓 0.2km」
矢印の方向へ進んでいくと、枯れた草花が供えられたままになっている「南無阿弥陀佛」と彫られた石碑と、「伝 与市兵衛の墓」と書かれた看板が立っている。
この石碑、長いあいだずっと、与市兵衛の墓だと信じられてきた。
だが、その正体はどうやら違う。清誉浄佐という人物が両親の供養のため、高野山を拠点に諸国を巡って勧進する僧・高野聖を千人寄宿させ、そのことを刻んだ供養碑だと考えられるようになった。現地の案内板によれば、寛文八年(1668)以降に建てられたものとみられている。
まぁ、当然と言えば当然だろう。なにしろ、与市兵衛って実在の人物ではないのだから。危うく、清誉浄佐の両親供養碑が、架空の登場人物に丸ごと乗っ取られるところだった。
じゃあ、与市兵衛ってなによ? となるが、『仮名手本忠臣蔵』五段目に登場する架空の人物だ。

与市兵衛の娘婿・早野勘平は、恋人のおかると会っていたため、主君・塩冶判官(浅野内匠頭にあたる)の刃傷事件という一大事に居合わせなかった。それを悔やんだ勘平は、仇討ちの仲間に加えてもらうための資金を用意しようとしていた。
勘平を心配した妻のおかるは、自ら祇園の遊郭へ身を売ることを決める。父・与市兵衛はその話をまとめ、手付金50両を受け取った。ところが、その50両を持って家へ帰る途中、与市兵衛は盗賊・斧定九郎に殺され、金を奪われてしまう。
何も知らない勘平は、夜の山中で猪を狙って鉄砲を撃つ。その弾が、たまたま定九郎に命中する。撃った獲物を確かめに行った勘平は、倒れていたのが人間だと知って驚く。助けようとして懐を探ると、そこには50両の入った財布があった。一度はその場を離れたものの、結局戻ってその財布を持ち去り、仇討ちの資金として差し出してしまう。
翌日、その財布が妻おかるの身売りによって用意された金の財布と同じ縞模様だと知る。そして運び込まれたのは、舅・与市兵衛の遺体。勘平は、「自分が昨夜撃った男は、舅だった」と完全に勘違いする。そして切腹。
ところが切腹した後になって、与市兵衛の傷が鉄砲傷ではなく刀傷だったことが分かり、勘平が殺したのではなかったと判明する。最後に仇討ちの仲間として認められ、連判状に血判を押して息を引き取る。
偶然、誤解、身売り、強盗殺人、盗んだ金、切腹、そして死ぬ寸前の名誉回復。盛りすぎである。
私には何がいいのかさっぱり分からない話だが、この五・六段目は『仮名手本忠臣蔵』屈指の名場面として愛されてきた。当時の観客には、忠義と家族への情の間で追いつめられていく勘平の姿が切実だったのだろう。

さて、この早野勘平には、直接のモデルとされる実在人物がいる。
萱野三平である。
萱野三平は、江戸城で主君・浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけた際、事件の知らせを赤穂へ届ける早駕籠の使者となった人物だ。江戸から赤穂まで約620km。これを四日半で走ったという。途中、生家の前を通った際には、母親の葬儀に出くわしたものの、そのまま赤穂へ向かったとも伝わっている。
浅野家が改易となり、赤穂城が明け渡された後、三平は仇討ちの盟約に加わった。しかし実家へ戻ると、父親から他家への仕官を勧められる。同志との盟約を父にも明かすことができず、江戸へ向かうことも許してもらえない。
主君への忠義を取れば父への不孝になる。
父への孝行を取れば主君への忠義を捨てることになる。
完全に詰んでいる。
事件から約10カ月後、浅野内匠頭の月命日に、27歳の三平は自刃した。
後世、「48人目の義士」と呼ばれることもある人物で、『仮名手本忠臣蔵』の早野勘平は、この三平を直接のモデルの一人として作られたとされている。
時代の空気、圧力、思想、常識、感覚は、人の生き方を変える。社会の価値観によっては、自分を売ることさえ、命を自ら捨てることさえ、「そのほうが筋が通っている」「そのほうが立派だ」と周囲にも本人にも思えてしまう。
自分は自由に生きているつもりでも、社会の価値観や常識から完全に自由だと言えるのだろうか。あまりにも深く染み込んでいるから、自分ではそれを自分自身の意思だと思っているだけなのかもしれない。
与市兵衛の話に戻る。
私は、この物語の登場人物たちの行動にはまるで感動しない。共感もできない。何がそんなにいいのか、全くもって理解不能である。創作された勘平よりも、実在した三平の人生のほうがよほど刺さる。
親孝行、主君への忠義、そして武士の面目が、現代人には想像しにくいほど重かった社会に生きていたのだから、三平が追いつめられた理屈は理解できる。それでも現代の価値観で生きる私には、「そんな死に急ぐ必要あるか? なにも死なんでも」としか思えない。

さて、長岡京のこの辺りは昔、木々が生い茂り、『仮名手本忠臣蔵』五段目「山崎街道の場」で与市兵衛が殺される横山峠の雰囲気にぴったりだったという。そこで物語と土地が結びつき、いつの間にか、この供養碑まで「あれは与市兵衛の墓らしい」と語られるようになった。
そして伝承は定着した。
面白いことに、長岡京市の公式ホームページですら、2013年の観光コースでは普通に「与市兵衛の墓」として紹介していた。ところが2026年のページでは、「与市兵衛の墓として誤って伝わっています」とはっきり書かれている。自治体まで一度、物語に飲み込まれていたのである。
それにしても、存在しない人間の「墓」に、今でも花を手向ける人がいる。
人間とは何なのか。
しかも、こんなことをしているのは与市兵衛だけではない。実在しない物語の登場人物が、あたかも本当に生きていたかのように語り継がれ、墓や家やゆかりの地まで生えてきた例は、ほかにもいくらでもある。
例えば、京都にある「夕顔の墓」。
『源氏物語』に登場する夕顔はもちろん架空の人物だ。光源氏に見初められ、急接近したものの、物の怪に取りつかれて突然死んでしまう薄幸の女性である。その夕顔には、なぜか京都に墓がある。
江戸時代の好事家が造ったものとされ、1780年の『都名所図会』にもすでに描かれている。しかも周辺の町名は現在も「夕顔町」。
架空の女性が、京都の地図にまで食い込んでいる。
熱海海岸には、『金色夜叉』の貫一とお宮の銅像と、「お宮の松」がある。この松、もともとは「羽衣の松」という素敵な名前で呼ばれていた。ところが『金色夜叉』が大ヒットし、昭和9年ごろから「お宮の松」と呼ばれるようになったという。
架空の人物が、もともとそこにあった現実の松の名前まで奪ってしまった。熱狂と妄想、強すぎる。
しかも銅像になっているのは、貫一がお宮を足蹴にする、あの酷い場面である。
まぁ、今でいうアニメの聖地巡礼に似たものも感じる。
「あの人物がここにいた」
「あの場面はここだった」
そう思える場所へ行きたくなる。そこへ地元の商売魂まで合流すると、だんだん本当にそれらしくなっていく。
このままだと日本人だけがアホみたいなので、海外の例も出しておこう。
『ロミオとジュリエット』。これもすごい。ヴェローナにある「ジュリエットの墓」は、16世紀にはすでに伝承が始まっていた。すると人々は、
「墓があるなら、家もあったはずだ」
と考え始める。そして「ジュリエットの家」が生まれる。さらに、誰もが知るあのバルコニー。あれは1939~40年の改装時に後から取り付けられたものだ。
物語から墓が生え、墓から家が生え、とうとうバルコニーまで生えた。
人間、やりたい放題である。
さらにヴェローナには、現在も世界中から年間約5万通もの「ジュリエット宛て」の手紙が届く。内容は主に恋愛相談で、ボランティアの「ジュリエットの秘書」たちが返信しているという。
悲恋の末に死んだ女性へ恋愛相談をする。私にはなかなか理解しがたいが、恋に破れたり心中した人物に縁結びを願う文化は日本にもあるので、人間の考えることは世界共通なのかもしれない。
シャーロック・ホームズも負けていない。ロンドンにはシャーロック・ホームズ博物館があり、居間や書斎など、作品の世界が現実の空間として再現されている。そしてホームズ像は、なぜか日本にもある。
長野県軽井沢町の追分には、ホームズ物語の日本語訳で知られる延原謙にゆかりがあることから、1988年、全国のホームズ愛好家らの寄付で等身大のホームズ像まで建てられた。パイプまで持っている。架空のイギリス人探偵が、軽井沢の公園で普通に立っている。
ハイジの家、山小屋、厩舎、学校などを再現し、物語の世界へそのまま入り込める「ハイジの村」なんてものもある。思わず、「クララのバカ!」とか言ってしまいそうである。
どうやら人間というのは、自分たちが熱狂した物語を、頭の中だけに置いておくのが苦手らしい。
墓がある。
家がある。
銅像がある。
この道を歩いた。
ここで死んだ。
物語に物的証拠を与えて、現実の世界へ引っ張り出してしまう。一人でやれば「何やってるんだ、この人」で終わる。ところが同じ物語を愛する人が何万人も集まると、墓が建ち、銅像が建ち、観光案内に載り、いつしか公認の事実めいた顔をし始める。
長岡京市自身が「与市兵衛の墓」と案内していたのも、その完成形の一つだったのかもしれない。こう考えていると、「人間は物語を共有することで、大勢の見知らぬ他人とも協力できる」という話を思い出す。
お金、国家、法律、会社、ブランド。
もちろんこれらは架空の人物の墓と同じものではない。
だが、紙切れそのものに一万円の価値があるわけではないし、地面に国境線が引かれているわけでもない。大勢の人間が「それには意味がある」と共有することで、目には見えない約束が現実を動かしている。この能力がホモ・サピエンスの大規模な協力を支えてきた、という考え方はとても面白い。
ただし、「ネアンデルタール人には物語や象徴を共有する能力がなかったから、ホモ・サピエンスに負けた」とまで言ってしまうのは、現在の研究からすると話を単純化しすぎだ。
ネアンデルタール人にも装飾品や象徴的な行動、埋葬などの証拠があり、言語を使っていた可能性も考えられている。彼らがなぜ消え、ホモ・サピエンスが残ったのかは、今も決着していない。
それでも、人間が物語を共有する力の凄まじさは変わらない。架空の登場人物を好きになりすぎて、墓を造る。家を造る。バルコニーを後付けする。松の名前まで変える。それを何世代にもわたって共有する。
これは脳のバグみたいでいて、同時に、人類が持っているとんでもなく強力な能力なのだと思う。
そして正直、プリンスエドワード島のアンの家には、私も行ってみたい。
人間ってアホだな。私も含めて。








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