名槍を酒で失った福島正則――アホ伝説の裏にいた有能な猛将

名槍を酒で失った福島正則――アホ伝説の裏にいた有能な猛将

🍁 京都府の史跡

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御香宮神社の境内を囲む道路沿いの塀には、『「黒田節」誕生の地』という立て看板がある。福島正則の屋敷は伏見城下にあったが、この看板の場所そのものが屋敷跡というわけではない。なのに何故、正則を嘲笑うかのように、こんな人通りの多い道に正則黒歴史暴露看板がたっているのかが謎だ。

福島正則は酒癖が悪かったという逸話が多い。『武功雑記』には、泥酔した正則が家臣に切腹を命じ、翌朝酔いがさめて事の次第を知ると、その首を前に号泣したという話まで残っている。

完璧なアホか!?としか思えない逸話だが、これが賤ヶ岳七本槍の一人、武断派の猛将・福島正則である。人間味があって可愛いと言えば可愛い。愛らしいと言えば愛らしい。だが、切腹させられた方としてはたまったもんじゃぁない。

で、この『「黒田節」誕生の地』というのも正則のアホ酒事件簿の一つである。正則屋敷の酒宴に、黒田家の家臣・母里太兵衛が招かれ、酒豪の福島正則に大鉢の酒を無理強いされた。「飲み干せば望みの品をやる」と言われたので、座に架かっていた秀吉拝領の名槍「日本号」を所望。酒豪だった母里太兵衛はそれを飲み干し、槍を持って帰った。

酒に酔って「飲めば何でもやる」って大風呂敷広げ、秀吉から貰った自慢の名槍をあっさり取られた。その後さらに、「返してくれ!」と何度も使いを出したとか……アホの極みである。正則は酒が入ると完全に脳筋スイッチが入って、槍を取られたり、家臣を死なせたり……酒絡みの逸話だけで、もう本人のキャラが出来上がってしまっている。

が、ここで終わったらあまりにも正則が不憫である💧

酒さえ体内に入れず、脳筋スイッチを起動させなければ、正則は武芸だけではなく領国経営でもなかなか優秀だった。

広島に入った正則は、慶長6年(1601)秋までに領内の検地と家臣への知行割を実施。福島氏の慶長検地は、秀吉の太閤検地に準じながら、より綿密・細分化されたものだったと考えられている。また、広島城の外郭整備や、洪水に備えた堤防の整備なども行ったと伝わる。

台風で破損した広島城を幕府に無届で補修したとして改易(領地没収)された事件も「うっかりルールを破った脳筋」として脳筋伝説の1つとして語られがちだ。もちろん、無断修築そのものは幕府に咎められる行為だった。だが、正則は秀吉子飼いの有力な武断派であり、幕府から警戒される存在でもあった。単なる「うっかりルール違反」だけで片づけるには、どうにも政治臭がする。

「酒癖の悪さ」と「まっすぐすぎる気質」、そして太平の世では扱いづらくなった武断派としての立場に、生涯を翻弄された人物だったのではないか。それでも豊臣家への情を捨てきれないあたりが、なんとも人間臭くて嫌いになれない。ここまで書いておいてなんだけれど、もう彼の酒豪アホ伝説封印してあげたい。

Googleマップ:「黒田節」誕生の地
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