大安寺──光が届いたのではなく、噂が届いた

大安寺──光が届いたのではなく、噂が届いた

🦌 奈良県の史跡

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巨大伽藍の記憶と、今を生きる寺

かつて、その光は大阪湾まで届いたと伝わる。

発掘された基壇の上に立つ重厚な南門。どっしりとした木材と高級感を醸す金具、繊細な彫刻と滑らかにカーブした木。南門のすぐ横の建物の屋根には 、ぎっしりと太陽光パネルが敷き詰められている。この古と近代のギャップがなんかいい。

この南門、当時は正面が約25m、奥行きが約10mもあった。正面だけで25mプールと同じ長さだ。 そしてこの南門より手前には西塔と東塔という七重塔が立っていた。その高さ、なんと約70m。現代に例えると23階建てビルに相当する高さ。しかも伝承では黄金に輝いていたという。 その黄金の輝きは夜でも山を越え大阪湾まで届いた、と伝わる。
まぁ実際は「光が届いたのではなく、噂が届いた」のだろうが。白髪三千丈を笑えないのが、人間である。

しかしそれでも、発掘された西塔の風鐸も鍍金が施されていた痕跡が確認されているし、塔の金具類もかなり豪華だったもよう。東塔は鎌倉時代、西塔は平安時代に焼失。惜しい、の一言では足りない。

当時の大安寺の敷地は、現在の25倍の広さだった。90余棟の堂塔が建ち並び、官寺の筆頭と称されるほどの格式を誇った。関わった僧も凄い。道慈律師、菩提僊那、道璿、仏哲、審祥、普照、勤操、最澄、空海、行教など。

境内は芝生が広がっていてスッキリ見晴らしも良く開放的。格好良い太鼓の音がした。太鼓の音頭が御堂から鳴り響く。その後、鐘の音がし、祈祷のような声が聞こえその後静かになった。貴重なタイミングで境内に入ったみたい。

大安寺はとっても可愛い♪ 石碑や看板、岩、石、植木、手水舎の枠組みの木や竹の中など境内のいたるところに可愛らしい小さな達磨がたくさん置かれている。これがもう可愛すぎた!

左を見ると「いのちの小径」と名付けられた一角がある。2011年、とある女性が心臓病と乳がんを乗り越え、その感謝として心臓のペースメーカーを奉納したという。本来なら、役目を終えた医療機器のひとつに過ぎない。だが、それが誰かの体内で命を刻んでいた時間を想像すると、ただの“モノ”としては見られなくなる。祈りの対象とは、必ずしも神仏に限らないのかもしれない。人は、助かった理由を“納得”するために選ぶ。 1300年前の礎石が転がる古寺の中に最新医療機器が祀られているのも古と近代のギャップ、大安寺の懐の深さの表れだ。

寺務所では、拝観受付をした。本や御守やお御籤なども売られている。大安寺はガン封じのお寺として有名。ガンなんて言葉は当時ないはずだが、 ルーツは奈良時代末期。光仁天皇が竹にお酒を入れて飲んで健康を保ったという。昔は原因不明の重い病気は、悪病や難病と呼ばれていた。それが現代の難病代表のガンに特化した祈願寺として広まっていくことになる。

インド八大聖地と四国八十八箇所を一気に巡れる「お砂踏霊場巡り」という便利なものまであった。噺堂をグルっと囲むようにつくられている。ここをまわれば国内だけでなくインドの聖地もまわれるのだからお得感がすごい。

読みかけの巻物デザインでお洒落なつくりの「大安寺歴代住侶供養碑」もあった。大安寺は聖徳太子が、釈迦の祇園精舎を模して建てた熊凝精舎が始まり。それがのちに天皇が直接発願して作った最初の大寺・百済大寺になった。その後も天皇が変わるたびに名前と場所を変え次第に大きくなっていったという出世魚みたいなお寺。南都七大寺の中でもトップクラスの扱いを受け、国内外から1000人近くの僧侶が住む仏教総合大学となった。当時は僧坊が13棟以上もあったと記録されている。

本堂の電気の傘には、模様が入っていた。そして傘のまわりは緑色の葉の上にお花が咲いているデザインで可愛い。仏像が祀られ祭壇が設けられ小物も多く場所も広い。なのに埃一つ付いていないし床も小物もピカピカ。一つ一つ毎日丁寧に掃除されているのを感じた。良い香りのお香が焚いてあって静かだし、こんな落ち着く場所にずっといられたらいいなぁ、もうガヤガヤしたところには戻りたくない、って思った。
外からカラカラと心地よい音がしていたけれど、表に出て見たら、願掛けのたくさんの木札が風に舞う音だった。

さっき寺務所では、ガン封じのお箸だけ買ったけれど、本堂前に「手書きだるまみくじ」がおいてあり、今度はひいてみようという気になった。でも「お金は寺務所で払ってください」と書いてあったので行くのが面倒で諦めた。可愛い達磨さん欲しかったな~。

宝物殿に向かっていると、細い白い木に「世界人類が平和でありますように」と書かれた時々どこかしらで見かけるあの謎の棒が芝生に立っていた。頭が混乱しAIに「なんじゃこりゃ!?」と投げかけたほどだ。大安寺の懐の深さを再認識する光景である。

嘗ての金堂前に建てられている宝物殿の入口には、南インドの僧である菩提僊那の像があった。東大寺の大仏開眼供養で大仏に目を書き入れた僧だ。その後、他界するまで大安寺に住み、本場インド仏教やサンスクリット語を教えて過ごした。菩提僊那が大安寺に住んでいた時、一緒に来日したベトナム人の仏哲はダンスや音楽を教え、これが今の雅楽のルーツの一つとなっている。大安寺は国際色豊かなお寺だった。

宝物殿では、「大安寺伽藍縁起并流記資財帳」があり複製品とは思えない古びた味わいがあった。流れている紹介ビデオでは、毎年3月にのみ公開される馬頭観音像や、11月1日のみに公開される十一面観音像もみることができた。

大安寺には奈良時代に制作された9体の仏像が現存している。その内の7体が宝物殿内の讃仰殿に安置されていて実見できた。撮影禁止、そして讃仰殿の中はとても寒かった。全てカヤの木の一材からつくった木彫り像。7体の真ん中に鎮座する不空羂索観音は腕が8本もあり普通に考えると異様。でも不思議と怖くはなかった。

現存してないが大安寺には天智天皇が発願し篤く信仰した釈迦如来像があった。当代随一の仏像と認識され平安時代には他の釈迦像をつくるときの手本にされていたと記されている。

平安時代以降の大安寺は、雷火、大風、地震などに見舞われ、古い仏像もほとんど失われほとんど雨さらしの状態だったという。戦国時代には南門付近で筒井順慶と松永久秀軍が交戦。更に立て続けに大地震に見舞われ伽藍のほとんどが大破。明治15年に2人の僧が私財を投じて小堂と庫裏一棟を建立したのを皮切りに大安寺再興が始まり今に至る。

宝物殿第2室では、発掘された軒瓦が展示されていた。その同じ部屋でまた古と近代のギャップを感じさせられる。
考古学、建築史学研究者の監修の下、奈良時代の大安寺天平伽藍をCGで復元してあるのだ。それをVRで体験することができる。これには感動した。まるで当時にタイムスリップしたみたい。タケコプターで低空飛行しているような感じで、低空の空から嘗ての大安寺を見て回れる。
そして更に、コントローラーを操作して、復元した大安寺大伽藍を自由に散策することもできる。歩行モードで見て回っていたけれど、当時の大安寺は広すぎる、迷ってしまって途中から飛行モードで空から散策した。

最盛期の4%の広さしかないという大安寺だが、ちょっとした観光にはちょうどよい広さだった。古を伝えながら近代感覚を取り入れている大安寺、なんだかとても好きだ。

古いものを守るだけでなく、新しいものも取り込む。
大安寺は、時間を止める場所ではなく、時間を重ねていく場所なのかもしれない。

Googleマップ:大安寺
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