「日本&アジア編」vol2:鉄砲と信長、その前に火を噴いた者たち

「日本&アジア編」vol2:鉄砲と信長、その前に火を噴いた者たち

🗻日本編☆世界初の真実

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戦国の火薬の音は彼だけのものじゃない

1543年、種子島に漂着したポルトガル人により火縄銃が伝わる(通説。1542年説やそれ以前の流入説もある)。その後、日本史は一気に戦国火力時代へ突入した――というのが教科書的ストーリーだ。
そして鉄砲の名手として最も有名なのは織田信長
だが、鉄砲を使ったのは信長が初ではなかった。


鉄砲伝来からの早すぎる適応

鉄砲が伝わった翌年1544年頃、種子島時尭(たねがしま・ときたか)は地元鍛冶に命じて国産化に成功。
根来・堺などを通じて急速に広まる。
この時点で種子島は国内生産の中心となり、島津氏や九州勢は早くも実戦投入していた。


北国の火縄銃部隊

1540年代後半には、越後の上杉謙信が鉄砲を保有していた可能性がある。
資料は少ないが、信濃方面での戦いに鉄砲音が記録されたという説が残る。


南蛮貿易で得た火器

九州の大友宗麟は、南蛮貿易を通じて大量の鉄砲を確保。
鉄砲・硝石を積極的に入れ、1554年には将軍足利義輝へ鉄砲や火薬調合書を献上している。
信長より前に数百丁規模で保有していたとされる。
ただし、彼は信長のように鉄砲戦術を大規模に体系化しなかった。


なぜ信長が主役になったのか?

  1. 戦術革新
     長篠の戦い(1575年)で鉄砲を大量に用意し「さんざんに」撃ち、馬防柵を構え、騎馬軍団を撃破。
  2. 規模のインパクト
     数千丁の鉄砲を同時運用した事例は当時として世界レベル。
  3. 記録と宣伝
     合戦記や絵巻で“鉄砲信長”のイメージが広まった。

歴史は勝者が書く(18回目)

種子島や大友宗麟も鉄砲を使っていたが、「鉄砲で時代を変えた人物」としては信長が圧倒的だった。
兵器を持つだけでは主役になれない――戦い方そのものを変えてこそ、歴史はその名を刻む。


結び

もし大友宗麟が信長並みの戦術革新をしていたら、“鉄砲宗麟”として歴史に残っていたかもしれない。
だが歴史の弾丸は、的確に撃ち抜いた者のもとへ飛んでいく。


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