斬る側ではなく、千年後まで残るものをつくる側へ

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石上神宮の刀剣展で、23振の日本刀に魅せられた

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先日、石上神宮で6日間にわたり開催されていた「刀剣の聖地ー石上神宮で観る 日本刀の世界」。 入場料は1500円。会場は狭く、展示された刀剣は23振。数字だけ見れば、ずいぶん小さな展覧会だ。ところが見終わったとき、私は妙に満たされていた。刀をほとんど知らなかった人間が、23振だけで沼の入口まで連れていかれたからだ。

刀はどれも同じではなかった

刀をよく知らない私は、展示品を観て思った。刀といっても、反りの方向が違う、反り具合が違う、刀の長さも違う。外反りは斬れやすそうだが、内反りの刀は戦場には向かないような気がした。すごく曲がっているように見えるけれど最高に反っている刀でも3.0センチと表記されてあった。内反りは古墳時代から奈良・飛鳥時代の上古刀などに多いようだ。

あと、一言で刀っていっても、剣、太刀、短刀、小脇差、脇差、刀と6種類にわかれていることも知った。古墳時代から奈良時代にかけて使われた真っすぐで両側に刃がある剣(つるぎ)、平安末期から鎌倉時代にかけて使われた反りが強く刃を下に向け腰からつるす太刀、室町時代以降使われた反りが浅く刃を上に向け帯に挿す刀。

刀を見るプロは、鞘に入れてある外側から見ただけで、どんな刀かわかるそうだ。そして、刃文や地鉄などを見て国や作者までわかる。銘がある方を外側に向けて腰に挿すんだよ、って刀の目利きに教えてもらった。あと、河内氏の説明によれば、刀身は鞘の内側にべったり触れているのではなく、内部で浮くように収められているという。刀身を傷つけたり、錆びやすくしたりしないための工夫だそうだ。そんな構造になっているとは知らず、驚いた。

素人の私が惹かれた三振

ド素人の私が特に気に入ったのは三振あった。展示を観た順に、まずは月山貞伸作の現代刀。 相州伝の力強さと備前伝の華やかさを念頭に作刀したとの事。月山派の刀は、刀身全体に綾杉肌と呼ばれる波のような模様が怪しく光る。もうね、その怪しい美しさにゾクゾクした。彼の祖父・月山貞一氏は人間国宝、父親の貞利氏は奈良県指定無形文化財。でも私が魅かれた刀は貞伸氏のだった。なので、彼のトークショーを楽しみにしていたのだが、急用で参加できずいまだに残念に思っている。

次に惹かれたのは、奈良県指定無形文化財である河内國平氏の作の太刀。青く冴えて怪しげに光っている。刀をみて憧れの刀匠となった河内國平氏ご本人にお会いできた!私は勝手に、刀匠とは仏頂面で、人づきあいが苦手で、少し偏屈な人なのだと思っていた。ところが河内國平氏は、めっちゃ面白くて愛嬌があり、会った瞬間について行きそうになるほど親しみやすかった。こんな職人いるの????と、こちらの頭が混乱した。笑

最後に気に入ったのが、鎌倉時代末期につくられた千手院派の太刀だった。大和は日本刀の発祥地と言われている。その大和伝の五流派の中で平安時代後期から続く一番古い流派が千手院派である。刀は戦い方の変化から時代によって、身につけ方も、反りも、長さも変わった。考えてみれば当然なのだが、私はこの展覧会で初めて、刀にも歴史があることを実感した。

ほかに印象に残ったのが、東大寺山古墳から出土した、後漢2世紀に中国からもたらされたという中平銘金象嵌鉄刀のレプリカと、豊田狐塚古墳から発掘された6世紀中ごろの古代刀だった。古代刀の刀身はボロボロで、古びた木の枝にも見えた。よくこれを刀だと見抜いたものだと感心した。

七支刀という、使えそうにない剣

原品を忠実に再現したという七支刀。七支刀は4世紀後半ごろ、百済から倭へ贈られたものと考えられている。刀身には64字の金象嵌銘があり、その中には、後世まで長く伝えてほしいという趣旨の言葉も刻まれているという。他に同じものがない、唯一無二の剣だというのも納得の形をしている。左右に枝が突き出し、どう見ても実戦で振り回すには使い勝手が悪そうだ。

「七枝刀 」として、日本書記に記載があるが、その後行方がわからなくなっていた。しかし、明治時代に石上神宮の大宮司になった菅政友氏が発見した。昔から年に一度の神事の際に箱に入れたままの状態で使われていた。でもその中身がなんなのかは誰も知らなかった。それを菅政友氏が開封した。そして、七支刀が出てきた。

この菅政友氏、他にも日本の国造りに使われた布都御魂剣が埋まっているとされている石上神宮の高庭を掘り返したりもしている。石上神宮の宮司さんが言うには、石上神宮には祀られているが誰も見たことがない門外不出の剣がある。ただ誰も見たことがないのでそれが布都御魂剣なのかどうかはわからない、ただあるにはある、ということだ。なぜ見て確かめないのだろう。高野山で空海が生きているというのと同じようなノリを感じるがそれが宗教というものだ。

で、その現品を忠実に再現した七支刀は忠実過ぎてボロボロで見るも無残な姿だったが、河内國平氏によりつくられた復元品が展示されていた。全く実用的ではないが悪いものを寄せ付けない幸運の剣だと思うと納得だ。

河内氏によれば、七支刀の銘文には「百練鉄」とある。この「練」という字を見た後世の日本人は、鉄を何度も打ち鍛え、日本刀と同じような方法でつくったのだと考えた。しかし、「レン」と読む字には練、錬、煉などがあり、この一字だけで製法まで決めてよいのか、という。

七支刀は厚さが薄い部分で2、3ミリ、厚いところでも5ミリほどしかない。そこから左右交互に六本の枝が伸びている。刀匠である河内氏は、この複雑で薄い形を、日本刀と同じように叩いて成形し、焼き入れするのは現実的ではないと考えた。そこで、鉄を型へ流し込む鋳造品ではないかと考え、実際に鋳造による復元に取り組んだそうだ。

銘文の一文字から受け継がれてきた定説を、刀をつくる人が形と技術の側から疑った。私はその話にも妙に興奮した。

人を斬る道具を、千年残るものにした人々

あと驚いたのが、平安時代後期や鎌倉時代につくられた実に見事な立派な太刀が展示されていたが、これがピカピカ光り輝いている。錆一つなく、まばゆいほどきれいで、とても千年近く前につくられたものには見えなかった。不思議だった。
日本刀に使われる鋼は、砂鉄と木炭を用いる日本古来の製鉄から生まれる。もちろん鉄なので錆びる。それでも平安時代や鎌倉時代の刀が、千年近い時を越えてなお光っている。素材の性質だけでなく、研ぎ、手入れし、守り継いできた人々がいたからだ。刀そのものだけでなく、そこに積み重なった時間にも圧倒された。

石上神宮の境内では、ヨチヨチ歩きの小さな鶏が、何もしていないのに大きな鶏につつかれていた。武器など持っていなくても、生き物は普通に争うらしい。

刀は、もともと人を傷つけるための道具だ。それでも千年後の私が見ていたのは、斬れ味よりも、鉄に美しさを宿し、良いものをつくろうとした人間の執念だった。

昔に生きていたとしても、私は斬る側にはなりたくない。どうせなら、千年後まで残るものをつくる側に回りたい。

刀に詳しくなったわけではない。それでも、刀と、それをつくり、守り継いできた人間には、すっかり興味を持ってしまった。


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