🦌 奈良県の史跡
今日も来てくれてありがとう!よければ一押しポチっと応援してってね〜。法輪山 明王寺から、不動山の巨石群へ
車一台通れるくらいの細道をのぼっていくと、無料駐車場。そこから細道を歩いて行くと、法輪山 明王寺という小さなお寺がある。伝説レベルの話らしいけれど、聖徳太子の叔母・白坂活日媛 が庵を結んで住んでいた場所と伝わる。
昔から修験者たちはまずはこのお寺で身を清め、そこから山を登り、明王寺の奥の院で修行を行ったという。明王寺の奥の院とは、 和歌山県橋本市杉尾にある不動山の巨石群である。

役行者の“未完の石橋計画”
嘗て、役行者が葛城山から吉野金峯山へ石の橋をかけるため一言主に命令。しかし橋完成前に夜が明け始め、鬼たちは石を放り投げて逃げてしまった。その伝説の巨石群である。つまりここは、役行者の壮大な土木計画が、夜明けと鬼たちの勤務終了により頓挫した 彼の黒歴史の現場、ということになっている。後世の人間は、それをありがたい伝説として拝み続けている。役行者本人が聞いたら、「そこ、掘り返すな」と言うかもしれない。

635段の自己責任階段
さて、法輪山 明王寺から更に少し行くと、右手に上へと続く長い階段がある。その階段には鳥居がかかっている。しかし注意看板が出ていた。「階段の一部が傷んでおり(略)転倒・転落・滑落には十分に注意し、自己責任において登ってください」そしてその上には、「まわり道」と矢印が描かれた看板がある。
635段あるというこの自己責任階段を登ることにした。階段の一段一段の高さが結構高い。だからか妙に疲れる。ちょっと休みたいかもって思ったところにちょうどベンチがあった。
途中から階段の高さが低くなり、後は信じられないほどに楽々だった。階段の高低でこんな疲労度合いに雲泥の差が出るのが興味深かった。もも上げ状態になるから疲れるのだろうか?

恐竜時代の海底から来た巨石
あぁここかなぁって開けたところについた。「大楠公腰掛ノ石」なんていう平らなベンチみたいな大きな石があった。他にベンチが2つ、水道、そして屋根付きの休憩所もあった。そして、山には巨石がゴロゴロ転がっている。確かにすごい大きさだ。
約8200万年~7000万年前位の海の底で砂、泥岩、小石、貝やアンモナイトの化石などが積もって固まった堆積岩。地上にはまだ恐竜が生きていた頃の話だ。それが地殻変動で隆起し、長い風化と浸食を受け、周囲の柔らかい部分が削られ、硬い礫岩だけが巨石として残ったらしい。役行者の伝説もすごいが、地球の作業時間はもっと容赦ない。

誰もいなかったし、とりあえず木漏れ日の下のベンチにゴロンと横になって上を見上げた。とても気持ちが良かった。もうこのままここでずっと寝転んでいたいって思った。思わずウトウトしたくなったけれど、ぐっすり眠り込んで片側の崖から下へ転げ落ちていかないよう意識を保った。
散々休んだ後、休憩所に入ってみると、地元住民の方がつくった休憩所だと説明があった。人力であの階段から物資を運び完成したそうだ。すごい、地元の方々の愛を感じる。

巨石の隙間に祀られる神仏
山を登り巨石に近づいてみた。稲荷神社が祀ってあった。
この杉尾不動山の巨石には穴が開いていて、風や水の音が聞こえる。天候によって音が変わるという。日本の音風景百選の一つなのだそうだ。なんか貝殻を耳にあてた時に海の音がするのを思い出した。
巨石の隙間に小さな社が3社あった。金剛童子、不動明王、八大竜王が祀られている。不動明王のところには「修行者」って書いた札があった。

せっかくなので不動山山頂へ
3m~5mはある巨石の隙間を通り岩をよじ登り巨石群を超えると、もうその上には巨石はなく山道だった。折角なので頂上まで行ってみたいと登山を続けた。かなり山深い。熊とか野生動物も普通に棲んでいるだろう。なので、YouTubeでノリノリの音楽を結構大きめの音でかけながら登った。これは便利だ。
木には紐が巻かれているのがあり、修験道の人がつけた道しるべなのか、林業の人が管理のためにつけた紐なのかはわからないが、人の手がはいっているのを感じた。ところどころに蜘蛛の巣が進行方向を阻むようにはってあり、可哀想だけれど謝りながら落ちていた木の枝で壊しながら進んだ。

木の根の上や小石だらけの急斜面や獣道みたいなところを歩く。下り坂になり頂上??と思うとまたすぐ上り坂になる、なかなか頂上にならないなと思いながら進んだ。諦めようかなと思いながら登ってたところで、地面に「地籍調査」と書かれた小さな埋込物を見た時はちょっと安心した。「国土調査」というのもあった。熊対策にYouTubeで音楽かけっぱなしにしていたけれど楽天モバイルは頂上でも使えた。

思っていた山頂と違う
そしてここが頂上だ!ってわかった。木には「不動山巨石→」って看板がつけられ、「ダイトレ←」って看板もあった。そちらはひたすら下り坂である。
「不動山590m」って看板もあった。
山の頂上って、木なんかろくになく、台地が開けてて上には晴天の空が、そして心地よい風が吹き抜けていき爽快。視線の先には下界が広く見渡せ絶好の眺め。そんなイメージだった。かつて登った山もそんなところばかりだったからかもしれない。
しかしここは、頂上といっても、木々が乱立し葉は生い茂り、眺めの良い景色を楽しむ、なんてのでは全然なかった。木々を見て、あぁ頂上だなぁって微妙な気持ちで思った。想像していた風景とは違ったけれど達成感はあり気分は上々だった。

下り道で気づいたこと
同じ道をくだったが、同じ道なのに見える景色が違った。木の根元に近い部分から斜めに幹が引き裂かれ朽ち果てて倒れている大木。明らかに人の手でスパッと切られた切株もあった。そしてかなり急な坂道だったと知った。
蜘蛛の巣はまだ1つも再建されていなかった。ダメージはかなり大きかったもよう…我々の自然災害みたいなものだろうか…とやった本人が言う。

巨石群が見えた時はちょっとホッとした。やっぱり山の中で一人で修行し続けた役行者って明らかに尋常じゃない。
そして体感としてわかったのが、高さ幅のある階段よりも、低めの階段、そしてさらに山道そのままの方が断然楽だって事。巨石よじ登ったり急勾配の坂を這い上がるような形になっても山道の方が疲れないし楽しい。
帰りは、来た時と違う道で返ろうと「まわり道」ってほうをおりた。巨石群のところにあったほどの大きさではないけれど結構大きめの石が山肌に埋め込まれるようにところどころ転がっていた。いくつもの枯れた竹が無造作に方々に倒れていたりしてちょっとした屋根みたいに感じられるところもあった。

「まわり道」と言う割にすっごいはやく麓におりれて、あの階段の方がまわり道なんじゃないか?って思った。
平成13年 社団法人地域活性化センターと書かれた「古代米栽培田」というのがあったが、草が生い茂りこれはもう今は活動していないのか、田んぼとはとても見えなかった。
駐車場のところまで戻ってきたけれど、バス停と同じ形状でバス停だと思っていた「不動山の巨石口」というものは、「橋本市デマンドタクシー時刻表」だった。タクシーが22分かけて御幸辻駅まで連れて行ってくれるらしい。タクシーの時刻表、こういうのは初めて見た。

修験道には程遠いけれど
635段の石段を登り、巨石をよじ登り、蜘蛛の巣を破壊し、山頂で「思ってた頂上と違う」とぼやきながら、なんとか戻ってきた。
修験道には程遠い。
けれど少しだけ分かった気がする。
山の中では、人間の都合などほとんど通用しない。階段の高さひとつ、石の転がり方ひとつ、蜘蛛の巣ひとつで、こちらの予定は簡単に狂う。
役行者は、こんな場所で修行していた。
鬼に石を運ばせたとか、一言主に命じたとか、伝説の中ではやたらスケールが大きい。だが実際に歩いてみると、そんな話が生まれた理由も少し分かる。
ここでは、石も山も人間よりずっと大きい。
人間はただ、息を切らしながら登り、少し休み、また登るだけである。
それでも、巨石群が見えた瞬間はほっとした。
あの石たちは、失敗した橋の残骸なのか、地球が何千万年もかけて残した作品なのか。たぶん、その両方として見てしまうから面白い。
不動山の巨石群。
修験道には届かないが、現代人の足腰には十分すぎる修行場だった。

不動山の巨石群 の写真一覧
















































































































































































































































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