「応挙寺」と呼ばれる大乗寺で、永遠に生きる絵を見た

「応挙寺」と呼ばれる大乗寺で、永遠に生きる絵を見た

🏞️兵庫県の史跡

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前回訪れたときは、瑞風の来訪により拝観不可だった大乗寺。今度は抜かりなく、事前に電話で確認してから出発した。

大乗寺は、天平17年(745年)に行基菩薩によって開かれたと伝わる高野山真言宗の寺院。行基が自ら聖観世音菩薩立像を刻み、祀ったのが始まりとされる。現在は、円山応挙とその一門による165面の障壁画、そして木造十一面観音立像などの仏像が国の重要文化財に指定されており、「応挙寺」とも呼ばれている。

圧倒された彫刻

御堂や門が見えた瞬間、思わず声が出た。「うわっ、すごい。これはすごい」
まず彫刻に圧倒された。御堂の彫刻も見事だが、門の彫刻が特にすごい。精巧で、凝っていて、見れば見るほど目が離せなくなる。

門の上に、口を開けた「阿(あ)」と口を閉じた「吽(うん)」のペアのどこか愛嬌のある顔の獅子がのっている。雲、波、優雅に舞う鳳凰、そして実を持った愛らしいお猿さん達、葉の細部までがすごくリアル。妙に生々しい鱗、角、爪をもつ龍、そして鋭い目に今にもとびかかってきそうな嘴を少し開けた獰猛な感じの鳥。ここまで感動する門って今までみたことあったかなぁ??感動と興奮が嵐のように湧き立った。

これら堂内をも含む大乗寺(応挙寺)の彫刻は、江戸時代後期から昭和初期にかけて北近畿一円を中心に活躍した宮大工・彫刻師一族「中井権次一統」の彫刻。
中井権次は、東の伝説的名工・左甚五郎に対し、「西の左甚五郎」とも称されたらしい。 左甚五郎は、日光東照宮の眠り猫とか有名だが、正直、私には、あまり刺さらない。一方、繊細さ、躍動感・迫力・立体感・獰猛さが詰まった中井権次一統の作品は大好きだ。

木の根にも目を奪われた。門に向かって境内の右にある大樹は樹齢1000年、左の大樹は樹齢500年。応挙や権次たちの姿も見てきた木だ。

そこでふと御堂の壁を見ると「内拝規則ー静寂を保つこと」いやいやいやいや、これで静かにしろってほうが無茶ぶりがひどい。こんな素晴らしい彫刻みたら思わず大きい声をあげてしまうだろうに。これは無理無理。まぁ内拝だから御堂の外ではいいのか?

応挙と密蔵ー応挙の恩返し♪

御堂の前には、円山応挙の銅像が鎮座。たくさんのお花が添えられている。お線香をあげさせていただいた。
応挙は亀岡の貧しい農家の生まれ。幼いころから絵を描くのが好きで奉公しながら絵を描き続けていた。ここのお寺の住職・密蔵が応挙の才能と志に惚れこみ学費を援助した。お寺建て直しの時に、恩返しとして応挙が二人の息子と弟子10人とで絵を描いた。

堂内障壁画の衝撃

堂内受付には堂内に設置されている複数箇所のカメラ画像が映し出されていた。各部屋や廊下などすべて監視している。受付では名前と住所を書かされた。堂内は一切の撮影禁止。

最初に入ったのは農業之間。応挙の弟子・呉春の晩年の作。呉春は与謝蕪村の弟子だったが、蕪村亡き後、応挙の弟子になった人物。1年間のお米作りの様子がぐるっと3面に描いてある。見た瞬間に心を鷲掴みにされた。絵でこんな感動するんだ、ってビックリした。隣の部屋は佛間。仏の東を守護するのが持国天。故に、国の平和を守り国土を支えるということで働く姿を描いた部屋。

面白かったのが、廊下に置いてあった御賽銭箱。これにお金を入れるとお経を読んだことになるという、なんともお手軽に功徳を積めるらしい装置。入れる場所は全部で4カ所。功徳というよりお寺の金儲け??って笑ってしまうほどうまいことに4カ所それぞれお金を入れた時の音が違う造り。チーンと澄んだ音、カーンと更に澄んだ音、ジーンと澄んでいるけれど深みのある音、キーンと天国から聞こえてくるような涼やかなイメージの音。

次から3部屋はデジタル再製画の部屋なので金箔が新しかった。大乗寺公式HPでは、堂内を映した動画がある。それで観たから行かなくていいっか?と一瞬思った時もあったが、来て良かった。ほんと、生で見るのは全然違う!カメラ越しと生で見るのはこんなに違うんだ!って嫌というほど実感させられた。

奈良時代に行基が刻んだと伝わる観音像が祀られる佛間を描いたのは応挙の長男・応瑞。極楽の蓮池に菩薩が立っていて佛間の中は極楽浄土。部屋全体でその世界観を表現している。佛間の手前の孔雀之間は、数え歳63歳の応挙最後の作品。これを描いた3か月後に応挙は京都の自宅で他界した。
佛間の襖をしめると、孔雀が登場。見る角度を変えると、松には奥行きが出、孔雀は丸みを帯びる。私にはどうにも刺さらなかった毘沙門堂のだまし絵を思い出し応挙の実力を思い知らされた。
ところどころに亀が描いてある。一流の絵描きでもこんな味のある亀描けないよ~って思う絵だが、なんとこれは当時11歳の応挙の三男の作品。

大乗寺の建物が完成したのは、応挙が孔雀の絵を描いた頃で設計から8年後。応挙は大乗寺完成後まもなく最晩年の作品を残し、同年に亡くなった。

次の芭蕉之間は、応挙55歳の時の作品。佛間の南なので増長天、政治を司るので唐時代の賢人・郭子儀を描いている。郭子儀は多くの子どもや孫にも恵まれた人物。絵具は鉱物性の絵具、白色は真珠の貝殻、緑は孔雀石とかで色を出している。そして見る角度により、老人や子どもの目線が変わる。

廊下は鶯張り。そして、山水之間。上座から見た時の圧迫感を減らすようアーチ状に湾曲した天井。中井権次一統が彫った見事な欄間。その隙間から光が差し込み、金箔の上に金泥を重ねた部屋を照らしていた。新緑の時期、紅葉の時期と、季節によって色が変わって見える仕掛けらしい。
極楽浄土を表した佛間を中心に、部屋全体いや、この建物全体で極楽浄土を表現している。壮大な構想だ。上座に描かれた絵も、見る角度によって建物が消えたり、松の枝が伸びたりした。

次の藤之間は、応挙の弟子・文鳴の作品で白い藤が描かれていた。ここ、武者隠し之間で、武装した護衛が待機。何かあれば壁を蹴り壊すと、山水之間の上座。壊すの前提の場所に絵を描くのを赦された文鳴がちょっと気の毒。

応挙の長男・応瑞が手掛けた鯉之間は、見る角度により亀の甲羅の形や鯉の形や体勢が変わる。応挙が描いた掛軸も二つ飾られてあった。パッと見た時と目を凝らして見た時で絵の雰囲気が変わり鯉の細部にまで秀逸過ぎた。

群山露頂之間は、呉春。険しい高い山が描かれていて、その麓には犬がいてどの角度から見ても犬たちと目が合うように描かれている。

2階は別料金1000円だったがワクワクしながら即お金を払った。階段がものすごく急。のぼった先には階段横に細い通路がありそこがなんとも味があって造りが気に入った。

2階の十六羅漢と猿の間

部屋は2間。鴨之間は、応挙の一番弟子とも言われる源琦の作品。梅の木と鴨、そして蛾や蝶が飛んでいる。蛾を描くって珍しいような気がする。また、絵の上下が銀箔で飾られている応挙が描いた大きな屏風があった。

十六羅漢図屏風は、お釈迦様のお弟子さんを描いたものらしいが、正直どれも人相が悪く、ヤクザみたいだった。鼻は大きく、耳たぶは嘘みたいに長く、ピアスまでしている。古代インドでは耳飾りで耳たぶを伸ばす習慣があったらしいが、それにしてもインパクトがすごい。人類というのは、時々意味不明なことをする。

十六羅漢図には、どんだけだよ!っていうくらいに爪が超長い人もいる。ヤギみたいの飼っている人、ヨレヨレの靴下を履いている人もいる。ピアスをつけない爪の長さも普通っていう人もいるけれどそういう奴は裸体。いずれにしろ全員、なんか一癖ある。
そして表情、 ちょっと笑ってる人、アンガーマネジメントしてる人、キレてる人、はい論破!とか言いそうな人、どれだけみていても飽きない屏風だった。

猿之間は、蘆雪の作品。猿が描かれているがどの猿も表情や行動が個性豊かで楽しくてずっと眺めていた。蘆雪は、この絵を襖を立てた状態で下書きせず一気に描き上げたという。

散々のんびりと絵を鑑賞し堪能しまくった後、1階の受付に戻り、魔除けブレスレットと般若心経ふきんを買った。

瑠璃光殿・鎮守さんー御賽銭入れのハードル

御堂を出る際、受付の上品な高齢女性が瑠璃光殿と本殿のことを教えてくれたので寄ってみた。瑠璃光殿には薬師如来が祀られている。社殿へ続く階段は「土足厳禁」と書いてある。のぼった先で、これ以上のぼったらいくらなんでも失礼だよなってところのさらにうんと遠くの左側へ御賽銭箱が置かれてあった。これって、御賽銭期待していないよな、このお寺。

さらに驚くことに本殿も同じく「土足厳禁」表示だが、階段上り鈴を鳴らす鈴緒がある。そこから更に数段上に行った先に御賽銭箱があって、これ以上のぼって行っていいのか悩む。御賽銭ひとつで脳内がフル回転してしまう。大乗寺、御賽銭集めていないのかなって感じた、なんか御賽銭箱にハードルがもうけられている。これが、勝者の余裕ってやつなのだろうか。応挙の絵の拝観料で十分足りてるから御賽銭いらないっすよ~、みたいな感じ?


そして、瑠璃光殿と本殿の間には、かなり奥まった暗いところに小さな鳥居と小さな社があった。気軽にお参りをしていいのかどうか…受付の優しそうなおかみさんも、この神社のことは一切触れなかった。受付に戻り聞いてみた。「鎮守さんって言って、狐さん。お参りしても大丈夫ですよ♪」との事。
小さな社には蜘蛛の巣がはってあったけれど、緑の青々とした榊もちゃんと添えられてあった。意味わからず遠目から見た時は暗そうで不気味な感じだったのが、全然そんなことはなくとても優しい感じがした。

永遠に生きる

大乗寺では、彫刻でまず心がゆさぶられ、堂内ではすべての絵に感嘆しっぱなしだった。そして応挙が設計したまるで3Dアニメーションのような動く障壁画の仕掛け、季節や時間帯によって差し込む光やその反射を計算しつくした自動演出、アナログな超ハイテク装置に感心した。

江戸時代後期に生きた応挙一門の絵が、普段冷めた感じの私の心に強烈な感動を起こさせた。数百年後の世に生きる人が、今は亡き自分が描いた絵を見て心を激しく揺さぶられる。これが、永遠に生きるってことなのかなぁ。

多くの寺院が経済的に困窮し寺宝をバラバラに売り払ったりしていた明治時代、「大乗寺の障壁画は村の宝」と香住の人々は一致団結し、守り抜いた。応挙とその弟子たちが描いた165面の障壁画は一度も寺の外にでることなく今に残された。そして、今、御賽銭が要らない位に拝観料で潤っている、のかもしれない。

大乗寺へ入る道の所に「応挙の散歩道」って看板が出ている。応挙たちは恩返しで絵を描き、その休憩中に散歩をし、村人たちと言葉を交わした、その道かぁと、その光景が目に浮かんできた。大乗寺の襖絵は生きているうちに実物を観た方がいい!と声を大にして言いたい。

Googleマップ:大乗寺(応挙寺)
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大乗寺(応挙寺)の写真一覧

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