笠置から柳生へ ― 巨石と奇習が残る柳生街道

笠置から柳生へ ― 巨石と奇習が残る柳生街道

🍁 京都府の史跡

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人を生かす平和の剣・柳生新陰流を生んだ柳生の里「柳生」。奈良市市街から柳生まで通じる古道を柳生街道という。今から約450年前、柳生新陰流が興されてからは、柳生の剣を求める武士たちが柳生街道を歩いた。

奈良方面から柳生へ向かうには主に3つのコースがある。滝坂の道、剣豪の道、柳生・笠置の道。

「柳生・笠置の道」を笠置駅から柳生家老屋敷まで歩いた。笠置駅周辺は、日本さくら名所100選に選ばれている。線路沿いにも桜並木があり、電車内からは「桜のトンネル」を楽しめる。

明治時代につくられたと聞く橋を左目に歩いて行くと、赤と緑の配色が印象的な笠置大橋に出くわす。明治・大正の頃までここには橋が無く、渡し船で川を往来していた。天候にも左右されるし不便で危険だった。村長の新田氏は、私財を投げうち大正8年に吊り橋を完成させた。昨今の政治家にはこんな人いるかなぁ???


昭和34年には吊り橋から鉄骨へと姿を変えたが、吊り橋の面影を残すデザインとなっている。

次に現れたのが、「遊びカヌー発祥の地」という遊び心あるデザインの石碑。戦後まもなく京都大学名誉教授・高木公三郎氏が、ドイツから持ち帰った折りたたみ式カヌーを日本の気候や風土に合わせコンパクトに改良したのが、日本のレジャーカヌーの始まりとされている。


高木氏がカヌー遊び地として選んだのが木津川だった。当時の笠置町長(長井氏)の協力のもと、この地でカヌーの普及活動がスタートした。

川にも河原にも巨石がゴロゴロ転がっている。柳生にある天之石立神社は参道から巨石で埋め尽くされている。その巨石たちがここまで続いていたのか!??と驚いた。

笠置大橋東方にある巨石に、蓮華座に立ち船形光背をバックに来迎印を結ぶ阿弥陀如来が彫られている。「享禄5年 (1532)」と銘があり、室町時代に笠置寺への道しるべに彫られた。

このあたり川が深くなっている場所があり、人が亡くなる事故が数年に一回は起こっているという。

実はこの辺り、笠置ボルダーと呼ばれる天然の巨石群を利用するボルタリングの聖地。いろいろな岩があるため初心者から上級者まで楽しめ関西屈指と言われている。「なかなかうまくいかない」と言いながら青年3人が岩登りにチャレンジしていた。

関西本線の線路がすぐ真横を走る川沿いの細道を歩く。この道の名称は「銀の帯」というらしい。ウグイスの囀りが鳴り響く。


対岸に見えるのは昭和30年代から50年代にかけての20年間、大繁盛だったホテル。山の中に黒崎トンネルが出来たために急速に衰退し昭和50年代後半に閉鎖となった。今では“心霊スポット化した廃墟ホテル”として、違う意味で知られる存在になっている。

ホテル前に流れる木津川は、歩きながら眺めてきた渓谷と比べると川幅が非常に広くなっている。30cm以上の鮎がとれるということで友釣りのメッカだった。おとり鮎は集落のお店で500円くらいで買ってきてここで友釣りを楽しんでいたと聞く。

明治時代、亀山に本社があった関西鉄道株式会社がつくった鉄橋が左手に見えてくる。大仏鉄道よりも随分前につくられたものだ。後には布目川発電所。関西本線が開通してから資材を運ぶことでちょうど日露戦争の頃に完成した当時としては小規模な100キロワットの発電所 。布目川の上流から水を引き上げ、それを一気に落として発電している。

大きな甌穴ポットフォールが9つもある「九つ壺」。川底のくぼみに生じた渦巻き流で小石が削られて数百万年の年月をかけてできた丸い穴。人間がショウジョウバエの一生を「あっという間だな」と感じるように、甌穴から見れば人間の歴史も一瞬なのかもしれない。

対岸には、うまく枯草で屋根や周囲を覆い周囲の自然と一体化して存在を隠している小屋があった。何故か入り口だけはブルーシートをカーテンのようにつるしているのでその青色でバレてしまう惜しい造りとなっている。誰かが利用している小屋なのだろうか。 川の水を飲み川魚や野草を食べ暮らしているのかもしれない。

次に出くわすのが、えっこれなに??っと不気味感漂う縄。川の両岸の木を利用してダランと変な縄がかけられている。対岸にある飛鳥路地区集落に不浄なものが入らないよう毎年新調している注連縄だ。

縄には男女の性器を形作ったものと幣が交互につけられている、ということだ。生殖信仰に基づく故の装飾らしいが、現代人の私には変態感あふれる縄にしか思えない。


今となっては飛鳥路は数世帯しかなく高齢化で勧請縄づくりから始まる大仕事の担い手がいず困っているそうだ。何百年も続いている習俗らしいが、私はなくなってもいいと思っている。縄が変態すぎる。笑

地殻変動により大和高原が隆起するときに出来たと考えられている布目川渓谷。ウグイスの声と川の清流を聞きながら歩く。布目川発電所の取水堰堤が見えた。

東部第2地区浄化センター施設の横の細い山道へ入る。ここ行けるの???っていう怪しげな急な山道をのぼっていくのだが、ここは柳生へのショートカット路。間もなく柳生焼窯元 柳生堂へ続くアスファルト道へ出る。

坂を下っていくと「春の坂道」という銘柄で有名だった嘗ての酒蔵がある。閉鎖し今では坂上にあった柳生焼の窯元さんが入った。その跡を継いだ御子息は白磁が得意で、日本白磁展で何度も入賞する腕前だとか。

柳生は遠い場所だと思っていた。
でも実際に歩いてみると、その道には巨石があり、川があり、人の暮らしの跡があり、奇妙な縄があり、何百年も続く時間が転がっていた。

車なら通り過ぎてしまうものばかりだ。
やはり古道は、歩かないと見えてこない。

Googleマップ:柳生街道ー柳生・笠置の道
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柳生街道ー柳生・笠置の道 の写真一覧

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