🍁 京都府の史跡
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可愛い伝承の裏にある、皇位継承の違和感
朝霧橋を渡ると、目の前には宇治神社の真っ赤な鳥居。鳥居横には、像がのってない銅像跡がある。ゾッとする異様な光景だ。「長者像」と彫られている。説明看板もないため消えた銅像について脳内妄想だけが炸裂する。
嘗ての宇治神社の宮司が長者氏。苗字からして金持ちそうだ(笑) ということは、この長者氏、儲け主義の守銭奴で恨みでも買って銅像ぶち壊されたのではないか、などと邪推がわいてくる。長者って言葉の意味、2種類あるしな。あとは、盗まれた、猛烈に嫌われていて撤去された、戦時中の金属供出で銅像供出した、とか。眺めていても埒が明かないので消えた銅像の件は脳内から追い出した。

宇治神社、狛犬が両側に鎮座しているが、中に入っていくと可愛い白兎の絵が飾ってあったり、手水舎の水を出しているのも兎。しかも兎の頭頂部は金色で特別な兎の演出。この手水舎、近づくと自動で水が出る近代的つくり。御守、絵馬、御朱印まで全て兎だらけ。
願掛け「うさぎさん巡り」なる変わった参拝方法も伝わっている。その手法通りに願掛けをし、3つの兎の置物を見つけられたら、絵馬に書いた以上の御利益が授かれるという。
狛犬も本殿も鎌倉時代に作られたもので、こじんまりとした神社。しかし圧倒的に兎の印象が強烈だ。可愛い兎が描かれた提灯がずらっとかけられている。

この辺り昔は「兎道(うじ)」と書いていた、らしい。宇治神社の御祭神である応神天皇の皇子・菟道稚郎子が宇治に来る途中で道に迷った。すると一羽の兎が振り返りながら道案内したという。宇治神社の象徴がこの「みかえり兎」で、正しい道へと導いてくれる神の使い☆として信仰されている。
可愛い兎と賢い皇子の日本人好みのほのぼのエピソードがヒットし、学業成就、合格祈願、良縁と欲するものすべてを兎に託し兎グッズで集客を成功させている。 兎道→宇治と地名が変わったというのもマーケティングの一つだと睨んでいる。だってわざわざ宇治って書き方変える必要なくない?

御祭神だという菟道稚郎子。彼は非常に聡明で日本で初めて百済の博士から論語や儒教を学んだ当時の日本の最先端の知識人だった。応神天皇は、「能力の高い 稚郎子が継げ」と皇太子にした。
応神天皇の死後こんなことが起こった、という設定になっている。
兄(仁徳天皇):「父の遺言だからお前が継げ!」
兎道稚郎子:「それでは人の道に反する!兄が継げ!」
と互いに一歩も引かず、3年も国政がストップする異常事態となったという。
なんでも、儒教では長子(兄)を敬う事が絶対的な美徳だったからだと。自分が生きている限りこの譲り合いは終わらないと悟った稚郎子は自殺した。そういうことになっている。

ちょっと冷静に考えてみよう。父親の遺言をガン無視し、父親を邪険に扱い、兄を敬い自殺までする、それが儒教なのだろうか? 父親の遺言もあり、兄もお前が継げという、もしこれが真実だったら素直に二人の言を敬い、自身が天皇を継ぐのが年長者に対する敬いである。なのに聡明で名高い稚郎子ほどの人物が、父の遺言と兄の言を無視し自殺決行。この話はどう考えても変、あり得ない。どうにもキナ臭い。
ちなみに、稚郎子は和珥氏の血を引いており百済系渡来人グループという政治的基盤が強かった。応神天皇からの寵愛も厚く、学問も本気で身に着け相当賢かったようだ。
古代の皇位継承は、血筋+軍事力+豪族連合の力関係で決まる。優秀過ぎ&親に愛されている邪魔な弟・稚郎子。兄に殺されたと考えると、話の辻褄は合う。

勝者は歴史を書くー辻褄の合わない頓珍漢な自殺劇を日本書紀などに記させたのも仁徳だと考えると納得である。あまりに都合が良すぎる。
すべて、仁徳を「聖帝」に仕立て上げるための作り話、国家プロパガンダだろう。民の竈の話も実に胡散臭いし。やや作為的に整えられた印象を受ける。
宇治神社付近は菟道稚郎子が造営した桐原日裄宮跡だとの伝承がある。宮跡を通りモヤモヤした気分で歩いて駅へ向かった。
血なまぐさい権力争いの激しい一族をキャーキャー騒いで崇めている日本。
そう考えると、日本という国はなかなか面白い。

宇治神社の写真一覧


























































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