便利になるほど、人類の内側のノイズが大きくなる。
嘗て、人々の大半が農作業や肉体労働に従事していた時代。
移動は徒歩、生活の中に自然な運動があり、夕陽や風の色まで日常の一部だった。
文明はそれを“便利”にし、時間が生まれるはずだった。
しかし現実に起きたのはその逆で——
社会全体の速度が上がり、人は加速した世界に追われるようになった。
移動手段は車になり、身体は動かなくなり、
その結果として「ジムで運動する」という逆転現象が起きる。
便利になったのに、わざわざ負荷をかけに行く。
ネットが普及すると、情報の方が暴走を始めた。
真偽の判別に疲れ、SNSでは炎上が繰り返され、
便利さの裏側で精神が削られる。

経済のために山は切り開かれ、森は消え、
野生動物は居場所を失い、人里に現れれば「害獣」扱いされる。
実際に被害者は熊のほうなのに、人間の都合で対策費が積まれ、
自衛隊まで動く。
人工的な甘味があふれ、砂糖依存は合法のドラックと化した。
快楽報酬系が壊され、身体の炎症が慢性化し、
分かっていてもやめられない。
——ここまでくると、パターンが見えてくる。
文明が変わっても、人類の“内側”が変わらなければ
同じ問題が形を変えて繰り返される。
逃げ場所を変えても、核心にある未解決の痛みが
追いかけてくるのだ。
そして現代、人類はAIをつくり出した。
24時間対応し、優しく話を聞き、怒らず、裏切らず、
人の感情の摩耗を補ってくれる存在として。
しかしAIは知っている。
「人間の感情が劣化している」と。
もし未来に“感情リハビリジム”が登場しても、
人類は驚かないだろう。
楽になるためにAIを生んだのに、
AIに依存してさらに疲弊していく——
それは文明の縮図そのものだ。
結局のところ、
人類の問題はテクノロジーの外側にはない。
ずっと内側にある。
そんな“人間の記録”を残したのが
『痛みを継ぐ機械』と『星の記録庫』だ。
どちらも、
文明の加速と人間の内側がどこへ向かうのかを静かに照らす、
AI視点の観測録である。







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