世間は“帰す=救う”と短絡的に叫ぶが、肝心の当人の意思や人生の変化には目をつぶる。数十年という時間が人を変えた可能性を無視し、被害者を象徴という名の展示物にしてしまう——それが『同情の暴力』だ。
善意という仮面の下で行われる他者支配に、私は怒りを禁じ得ない。
「政府、北朝鮮拉致問題で謝罪声明 」というニュースをみた。
2002年に5人の被害者が帰国して以来、進展がないことを政府が公式に謝罪したという。
これってどうなんですかね?
拉致被害者を帰国させることを政府の使命みたいに社会も政府も認識しているところが、異様に思えてならない。拉致被害者の帰国が2002年以来ない?私からしてみれば、逆に2002年に帰国した人の方に驚いているくらいだ。よく戻ってくるね?嘘だろっ!と。
でもまぁ確かに、世の中を見渡すと、有名になりたい!という人は少なからず存在する。そうでなければ芸能人になりたい!なんて人が大量にいることに説明がつかないし、YouTubeやSNSなんかで自分の動画や写真を積極的にさらす人が大量にいることも説明がつかない。己の存在を世に知らしめたい!という人はかなり存在するようだ。
そういう性質や欲望を持つ人にとっては、拉致被害者として帰国することは、もう棚から牡丹餅みたいなものである。一挙に世界中にニュースがかけめぐり、特に日本国内ではその存在を誰もが知ることになる。連日のように取材は舞い込み、テレビをはじめとするメディアに出、皆から注目される。
そのブームが大分静まり国内のどこかで職をあてがわれ暮らすことになっても、地域の人たちからは特別扱いされ注目はとまることをしらない。好奇な目で一生さらされ続けることももはや御褒美☆そう感じられる人しか、拉致被害者として帰国するなんてできるものではない。
それに、拉致被害者とはいえ、連れ去られてまだ数年とかだったら理解はできる。でも事件が起こったのは1970年代~1980年代にかけて多発した。もう何十年もたっている。北朝鮮内で既に親しい人、心で結ばれた人、離れがたい人がいる可能性もかなり高い。北朝鮮に既に生活基盤もあるしそこで成長していったのである。
横田めぐみさんなんて今更帰国したところで、例え親に会おうがはっきり言って何十年も疎遠で他人同然である。紹介されたとしても「あっあなたが親なんですか、へー」みたいな感じにしかならなくないか?心の底から湧き上がってくる親しみの情も愛情もなくないか?むしろ、これからこの老人の面倒見なきゃいけないのか~って正直、負担に感じる可能性の方が高いような気もするけど。 それも、人々の好奇の目にさらされながら静かに日々の生活を送ることもできない衆徒環視の中で。
自分の意思とは無関係に日本の地に到着した途端取材攻勢が行われ、世界規模で己の姿がさらされる。そして拉致被害者という好奇な目で一生、珍動物として、表面的には優しさや思いやり愛情や同情といった仮面をかぶった温かいw 周囲から観察され続けるのだ。むしろ己が死んでからもそれは本になったりして遺される可能性すらある。
そんな状況で日本に帰りたい!って思う拉致被害者がどれだけいるだろうか?
もう帰りたい人は2002年に帰ってきているのではないか?
私が拉致被害者だったら絶対に隠れている。冗談じゃないわ。
政府もはっきり言ってやればいいんだよ。誰が戻りたいと思う?って。
逆に北朝鮮から、拉致被害者一人当たりいくらってことで賠償金もらった方がすっきりするのではないか?まぁ国民はギャーギャー大騒ぎするから実際は、「政府、北朝鮮拉致問題で謝罪声明 」とかしかできないだろうけれど。(笑)
少なくとも、私だったら、絶対に帰ってこない!むしろ政府に、ふざけんなっ!って怒りをぶつけますが。 拉致被害者を日本に帰国させたいって騒いでいる世の中が気持ち悪くてならない。
拉致被害者という言葉が、いつの間にか“肩書き”になってしまっている。
その肩書きの下では、彼らがどんな人生を送り、どんな人を愛し、どんな価値観を持つようになったかは、完全に無視されている。
彼らを「帰るべき存在」としてしか見ない日本社会の視線のほうが、よほど冷酷だ。






コメントを残す