生きた時代が悪かった。名家ゆえの悲劇・山名祐豊

生きた時代が悪かった。名家ゆえの悲劇・山名祐豊

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此隅山城の落城

山名祐豊は、生まれ育ちこそは歴史的に裏付けされ格式と伝統にまもられた名門中の名門だ。しかし、軍事力の面では、すでに織田政権に対抗できる状態ではなかった。それが証拠に織田方の圧力を前に、此隅山城を維持できず堺へ退いた。


堺での暮らし

嘗ての武家の名門が、信長の子分に囲まれ、尻尾を巻いて逃げ出し商人の町である堺に逃走。祐豊を堺で支えたのは有力茶人&豪商&信長の御用商人であった今井宗久だとされている。

源氏の中でも特に尊ばれた清和源氏の血を引き、室町幕府で「六分の一殿」として高い知名度を持つ家柄の祐豊は、文化や教養を重んじる堺の豪商たちにとって、とても魅力的な交流対象だったと思われる。

祐豊が最も得意としたのが茶の湯で、特に名門の当主として持っていた審美眼や知識は最高峰の文化人たちからも一目置かれるほどのものだったはず。また、清和源氏の新田一族の血筋は代々、和歌や古典の教養が非常に高い御家柄。祐豊は京都の公家たちとも交流があり、伝統的な歌道や古典の知識に精通していた。この圧倒的な家柄とそれにふさわしい深い教養は、下剋上の成り上がり武将たちが到底持ち合わせていないもの。祐豊はこの教養を武器に堺で生き延びた。そして、今井宗久のとりなしによって信長に許され但馬にもどり有子山城を築城する。

但馬で再スタート


信長にとってもメリットはあった。伝統ある名門の権威が服従することで世間に新たな権威・秩序を周知することができる。教養人・祐豊のネットワークは情報収集や外交で利用価値がある。そして但馬支配で数百年の支配の歴史があり国人達との絆が強力だった祐豊は、とりあえず支配の観点からもとりこんでおくほうが都合が良かった。でも逆に絆が強い分、信長の脅威でもあった、いつか自分にたてつくかもしれない。


銀山 強奪

さて、1577年、信長は秀吉に中国攻めを命じる。その前段階として但馬の制圧を狙った秀吉は、羽柴秀長そして軍師・黒田官兵衛とともにまずは生野銀山の攻略にかかった。

この生野銀山、1542年(祐豊の時代)に本格的な採掘が始まった。祐豊はこの銀山を自らの直轄地とし、最新の精錬技術である灰吹法が導入され、当時としては高い生産力を誇っていた。 この豊富な資金によって此隅山城や有子山城の建設が可能だった。

手始めに黒田官兵衛は銀山周辺の国衆に「織田に従えば本領を安堵するが、逆らえば全滅させる!」と触れ回った。圧倒的な己の利益の前には長年の強固な絆も一瞬に崩れ去る。そのあいだに羽柴秀長はわずか数日で竹田城を攻略。有子山城にいた祐豊は気付くと生野銀山の支配権を奪われていた。織田軍早っ!

山名祐豊、策略知略で周囲を罠にハメ、己への利益を全振りにしたりしない。友だちだったら最高なんだけれど戦国期にはむかない。

秀吉は生野銀山を自分の直轄領とし、信頼できる部下・宮部継潤を銀山奉行として現地に常駐させ、中国攻めの軍資金とした。祐豊は自分が育てた銀山を奪われ、しかもそこから上がる資金が自分を追い詰める軍資金になるのをただ黙ってみているしかなかった。ハングリー精神あふれた奴らに、名門中の名門で教養溢れる祐豊が押しつぶされていく。


嘗ての権威・名家ゆえに邪魔

生野銀山も手にしたし、国人たちも取り込んだ。これによってついに祐豊は不要になった。明確な反抗の機会すら与えられないまま、 1580年、有子山城を織田軍によって包囲され有子山城の落城とともにその生涯を終えた。 かつて日本を二分する勢力を誇った応仁の乱の西軍総大将・山名宗全の曾孫、歴史的な名門中の名門である山名祐豊を徹底的に潰し、新たな支配体制が確立された瞬間である。

信長にとっては旧体制から新しい時代の秩序を確立するために、かつての亡霊をつぶすのは避けられない犠牲だった。一方で、山名祐豊は、ちょうど生まれた時代が悪かった。生まれるタイミングってほんと重要。

山名氏のその後

一方、祐豊の三男・ 山名堯熙は後に秀吉に仕えることになる。秀吉の御伽衆として重用された。堯熙もやはり深い教養ある人物だったのだろう。今でいえば生成AI的ポジションである。また因幡の山名豊国は、秀吉に降伏した後、家康に接近し、江戸時代には交代寄合という大名に殉じる高い家格の旗本として存続した。山名氏の血筋は明治維新後に村岡藩として1万1千石の大名(藩)に認められるまで続いた。

山名祐豊は辛い時代を生きた人物でその辛苦、胸中をおもうと言葉に尽くしがたいが、その子孫が続き、歴史に名をはせているのがせめてもの救いに思う。

山名祐豊は、無能でも臆病でもなかった。
ただ、彼の生きた時代には、
彼の価値が通用する勝ち筋が残されていなかった。


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