🍁 京都府の史跡
今日も来てくれてありがとう!よければ一押しポチっと応援してってね〜。石清水八幡宮は、なぜこんなにも「元祖」をめぐって揉めるのか。
奈良の元石清水八幡宮。京都・大山崎の離宮八幡宮。そして男山の石清水八幡宮。
三者の由緒を追っていくと、神様の話をしているはずなのに、途中から完全に「名前」「権威」「金」「縄張り」の話になってくる。
神社って、もっと清らかな場所じゃなかったのか。
いや、清らかだからこそ人間が群がる。そこから先は、だいたい泥試合である。
JR山崎駅から徒歩1,2分のところに「離宮八幡宮」というなんだか格好良い名称が刻まれた石碑と灯籠と古の感漂う大きな提灯。そして家光が再興したという重厚感に包まれた惣門がある。恭しく注連縄が飾られている。

この神社、奈良市にある元石清水八幡宮と由緒がほぼ同じだ。そして2社とも、石清水八幡宮の起源説を唱えている。だが、2か所だけ違う所がある。
1つ目は、大安寺の僧侶・行教がなぜ宇佐八幡宮から御分霊を奉じたのか。元石清水八幡宮では、「行教が宇佐八幡宮で神託を受けたから」。離宮八幡宮側では、「清和天皇の命、あるいは夢告に基づく勧請」として語られている。
2つ目は、石清水八幡宮という名称の由来。元石清水八幡宮では、「手を洗う水がなかったため行教が法具で大地を叩くと美しい清水が湧き出た」、離宮八幡宮では、「夜の神降山に霊光を見てそこを掘ったら清水が湧き出た」という。
いずれにしろ、現、男山にある石清水八幡宮に名称と共に神は遷座させられた、らしい。しかし、石清水八幡宮側は、「貞観元年に行教が宇佐八幡宮で託宣を受け、男山の峯に御神霊を奉安し、翌貞観2年に社殿が建立された」とする。

言い分はそれぞれいろいろあるものだ。だが個人的には石清水八幡宮が強欲に思えてならない。
大安寺に対しては、「奈良なんて知らん、もともと男山にあった。関係なし!」と主張し、平安時代末期に国を揺るがすほどの大論争になった。
離宮八幡宮に対しては、江戸時代に入りもめた。しかも、離宮八幡宮が幕府から寄進を受け豪華になったあたりから急にガチギレしてきた。鳥居の扁額を「八幡離宮」、釣鐘と境内標石に「石清水八幡宮」と入れたのが気に食わなかったようだ。
「石清水の名前使うな!」「離宮って呼ぶな!離宮ってのは俺ら男山の離宮(別宮・行宮)って意味つまり俺らの支配下にあるって意味であって、河陽離宮跡って意味じゃない!」ってこんな感じ。それで結局幕府が間に入り「離宮八幡宮」という名称に落ち着いた。両者引き分けみたいな裁定を幕府がしたわけだが、石清水八幡宮の印象、私の中で最悪である。

しかし、奈良の元石清水八幡宮は完璧ガン無視され状態だが、離宮八幡宮には毎年4月、平安時代から行われている日使頭祭がある。当時は、勅使(天皇の代理)が離宮八幡宮に参拝し、淀川を船で渡り対岸の石清水八幡宮(男山)へ向かう儀式があった。その伝統を再現した祭りだ。離宮側が「ここが最初に神様が降り立った本宮だ!」という主張の根拠を祭りで形にしている。これを男山の石清水八幡宮は伝統として受け入れてはいる。が、男山の本宮(石清水八幡宮)の大祭は9月に行われる。この石清水祭には今でも本物の勅使が来る三大勅祭の一つである。
境内には、奈良時代以前のものと推定される大きな塔心礎があった。この大きさからみるに相当立派な建物だったんだろうなぁと想像できる。当時の境内の広さは現代の3倍ほどもあったという。幕末の禁門の変で長州藩の屯所となったために兵火に巻き込まれ社殿の多くが焼失。さらに明治時代に鉄道開通と共に線路敷地として収容され現代の大きさになった。

そしてお爺さんがお盆らしき上に壷を置いた物を持ち歩いている油租像が有る。「本邦製油発祥地」と書かれた石碑も有る。ここ、油の神様なんですね。
平安時代、ここの神官が長木という画期的な搾油器を発明し、荏胡麻の実から効率よく油を搾る技術を開発。
鎌倉時代から室町時代にかけて、この地を本拠地とする油商(神人)たちは、大山崎油座という強力な商業ギルドを結成。男山の石清水八幡宮の下部組織みたいなポジを利用し石清水八幡宮の絶大な権威をバッグにし、「神様に仕える身内なので、税金は免除してください」「関所もタダで通らせてください」 と朝廷や幕府と交渉。
結果、九州北部から美濃(岐阜県)にいたるまで、えごま油の独占販売権や関所の通行税免除といった強大な特権を獲得。それにより莫大な富を蓄えた大山崎は、独自の自治権を持つ自治都市として大いに栄えた。

大山崎は、稼ぎ出した利益の一部を、男山の石清水八幡宮の社殿の修理費などとして上納、灯明油も貢納していた。つまり男山の石清水八幡宮と大山崎は、単なる上下関係ではなかった。男山は宗教的権威を持ち、大山崎は油座の経済力を持つ。権威と金が手を組んだ、かなり現実的な関係だったのだ。
神人たちは男山の神事にも参加していたし、日使頭祭が伝統として残ってしまったのも経済力の差により男山も乗らないわけにもいかなかったからだろう。もちろんこれは私の邪推である。だが、宗教的由緒だけでなく、油座の経済力がこの祭りの存続に影響しなかったとは言い切れない。

大山崎は名前のプライドは男山にもたせておいて、自分たちは油の独占権という実利をがっちり握り大儲けした最強のリアリストだったのだ。そして金の力で支配する。
神社といえども、結局はプライドと金と権力争いの塊なのが実情である。離宮八幡宮のやり方はスカッとするが、元石清水八幡宮はガン無視されててちょっと気の毒。そして、まだ行った事のない石清水八幡宮はなんか嫌いである。笑

離宮八幡宮 の写真一覧




































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