八咫烏の故郷、岡田鴨神社 ~鴨族が天皇家を『精神的に支配』した逆転劇

八咫烏の故郷、岡田鴨神社 ~鴨族が天皇家を『精神的に支配』した逆転劇

🍁 京都府の史跡

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岡田鴨神社から約200mほど離れた地点に「岡田鴨神社旧跡地」という史跡がある。岡田橋と彫られた小さな石橋の下を流れる川の水が澄んでキラキラ。しかし、Googleマップ頼りにいくら周辺を探してもたどりつけない。Yahooマップにはそもそもその存在すら記されていない。

諦めて歩いていたら岡田鴨神社が見えた。近づくほど「えっ!」と思わず声を上げていた。こんな立派なこんなきちんとした神社がこの辺りにあったの!?と青天の霹靂だった。

手水舎に羽ばたいているのは確かにあの八咫烏だ。足が三本ある八咫烏だ。 年季の入った古い絵が掲げられてある。

朱塗りの2つの社殿が並んでいて、他に2つほどの朱塗り社殿が境内に鎮座。敷地面積もなかなかに広く明るく清浄な気で包まれている感じ。

昨今は神主不在、社務所閉鎖の神社が多い中、神主装束を着こんだ見目麗しい神主さんが境内を歩き、社務所も開いていて御守や御札が売られていた。

気づいたら聞いていた。「岡田鴨神社旧社地ってどこにありますか?」

神主さんと共に畑の畦道を渡り草原を歩く。昔はよく木津川が氾濫し1キロ弱離れた加茂駅までこの辺り一帯数メートル高さまで水につかっていたそうだ。しかし、今の岡田鴨神社だけが水に浸からなかった、という。

畑と草原の間を通る用水路のような水流は、神社の清流として手水舎とかに使ってたらしい。

その周囲だけ綺麗に刈り取られた竹藪の中に「岡田鴨神社旧社地」と彫られた石碑があった。氏子さんたちが昭和5年に建てたものだ。その石碑の奥は足が踏み入れられないような竹藪。夏には畑や草原に草が生い茂り、ここまでたどり着くどころか分け入ることもできず岡田鴨神社周辺から眺める事しかできないという。

岡田鴨神社には2つの社殿がある。祭神である賀茂建角身命(八咫烏)を祀る社が神主さんによると約260年前、天神様(菅原道真)を祀る社が約200年前に建造されたもの。どちらも春日大社からお金を払って(または下賜されて)移築された春日移しの社殿だとのこと。(京都府指定有形文化財)

神主さんによると、春日大社側は今でも「お前らに社殿ゆずってやったからなぁ」って言いに来るらしい。でも「お金ちゃんと出して買ったのに!」って神主さんちょっとキレてたw

708年9月、元明天皇、岡田離宮に行幸。賀茂・久仁(恭仁)の二里に稲30束を施した、と記録されている。もともとは民が育てた稲である。それを「施した」と記録する表現に、当時の権力構造が垣間見える気がした。

神主の話では、岡田鴨神社は岡田離宮の北東の隅にあたる場所だったという。南側は今の加茂駅よりもさらに南側まで広がっていた広大な離宮だったと伝わる。

離宮(天皇の別荘)が廃された後、村人が旧跡保護のため天神社、天照大御神を祀っていたのではないかと神主は推測。その約300年後に道真信仰が広まった時に天神社→天満宮と名称がかわり祭神が道真に変わってしまったのではないかと。その後、岡田鴨神社が遷座し社名がかわった。

熊野から神武天皇を道案内したのが八咫烏の化身とされている賀茂建角身命。この鴨族(賀茂氏)は葛城一帯に非常に古くからいた土着勢力。山を神として祀る信仰をもっていた神事・祭祀 のプロ。政事・軍事を司ってた葛城氏(武市宿禰の末裔と言われている)の下で水運・製鉄などを担っていた。天皇家はその後、葛城一族から皇后を迎え入れるようになり葛城氏は王権に匹敵する勢力をもった。

天皇の座を狙う殺人からの騒動でその近親者が葛城円(葛城氏のトップ)の家に逃げ込むと雄略(当時は大泊瀬皇子)は円の家を包囲。雄略は建物ごと焼き払った。これにより、王権に匹敵する勢力を持っていた葛城氏本宗は、政治の表舞台から姿を消した。

葛城氏が滅ぼされたことで政治的な居場所を失った鴨氏。奈良が政治的にドロドロしてくると鴨氏は移動を始めた。当時の京都は湿地帯が多く未開拓の地、鴨川と桂川という大きな川が流れる水の豊かな地。神主の話では、その移動の途上で岡田の地を経たと伝えられている。そして鴨族は最終的に下鴨の地に拠点を築いたという。

高鴨神社(葛城)→岡田鴨神社→下鴨神社→上賀茂神社と、鴨族を祀る社が連なる。

鴨氏は頭がキレる。

鴨族の姫が川で遊んでいたら赤矢が流れてきてそれを持ち帰り床に置いた。ら、彼女は妊娠し雷の子を産んだ。そんな神がかった一族物語を宣伝。賀茂別雷命が上賀茂神社の祭神だ。

都が、鴨族の本拠地だった京都に遷ると、上賀茂神社・下鴨神社は平安京の鬼門を護るガーディアンとして最高ランクの特別待遇を受けることになる。さらに葵祭(賀茂祭)は国を挙げた最大イベントとなった。天皇の娘を斎王として鴨族の神に仕えさせるために送り込ませた。当時のエリートたちは葵祭の行列に参加することを最高のステータスとした。

一説として、神武天皇を道案内した鴨族を八咫烏と宣伝・記録させたのも鴨氏だった可能性が高い。忌部氏や中臣氏や賀茂氏などへの、古事記や日本書紀編纂の際の聞き取り調査の時に「八咫烏として最初の天皇を完璧にナビゲートした」とのエピソードを絶対外せない功績としてねじこんだとも考えられる。

天から遣わされた神の使い、3本足で他のカラスとの差別化。鴨一族は神話の一部となった。

恩を仇で返された天皇家を精神的に支配することになった鴨一族。そう考えると、まるで静かな逆転劇のようにも思える。平安京を呪いや災いから護るには鴨族の協力が不可欠という空気。天皇ですら手出しできない聖域。弟子であり見どころのある安倍晴明に知識を授け清明が星読み、鴨族は暦づくりと役割分担をして業界トップを独占。鴨族の知識なしでは日常生活すら送れないようになった。

鴨一族の物語は、実に痛快だ! 岡田鴨神社は下鴨神社の元宮(もとみや)と伝えられ、神主の話では東京から大学教授がわざわざ話を聞きに訪れることもあるという。文献に残らないこの土地の記憶は、今もここで静かに守られている。

Googleマップ:岡田鴨神社⇔岡田鴨神社旧社地
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岡田鴨神社⇔岡田鴨神社旧社地の写真一覧

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