🍁 京都府の史跡
今日も来てくれてありがとう!よければ一押しポチっと応援してってね〜。恭仁大橋の手前、木津川の土手のすぐ横に、中納言兼輔歌碑が建てられている。Googleマップで、歴とした史跡としてピン留めされている。
中納言兼輔(藤原兼輔)って、あの紫式部の祖父にあたる人物だ。
さぁて、どんなふうになっているのかな♪とワクワクして到着すると‥‥
いざ、実見!

なんっすか?これ!
まるでミミズがのたまっているかのようなぐにゃぐにゃ文字。
これ読める人どれくらいいるんですか!?と、問いただしたくなるような代物の石碑がボンッ!
わかる、わかりますよ、きっと芸術なんですよね。まるで、中納言兼輔(藤原兼輔)が、これだけの技巧凝らした歌をつくれる俺♡この教養と頭の回転すごいっしょ、俺イケてるっしょ、どうよ!って孔雀が羽を広げてアピっているみたいなそんな感じ。書体でそれを表現したんですかね!?
いや、もっと純粋なものかもしれない。
当時の貴族が書いたような優雅??な草書体で崩して書くのがシャレオツ☆って事なのかもしれません。
それとも、もっ、もしかすると、お前ぇら解読できっか!?っていう木津川市からの無言の挑戦状なのかもしれない。

でも、でもですよ、そもそも何故、歌碑を建てた?ここに歌碑をたてた理由だよ。中納言兼輔が昔々、こんな素敵な歌を詠んだんですよ~と、人々に知らせたいから歌碑をつくったのではないのだろうか??
なのに、見た人のほぼほぼ大多数が、「なにこれ?意味わかんねー」ってスルーして一瞥。誰の心にも残らず無視される石碑。
千年以上前、人の心を動かした歌が、今は誰にも読まれず、意味も知られず、ただの石としてそこにある。
歌を残すために建てたはずの石碑が、歌を遠ざけているという皮肉。
せめて隣に説明看板くらい建てたらいいのではないのかねぇ?
さて、有名な歌人で平安時代のサロンの中心人物。女性との交流も多く、風流人として知られていた兼輔さんの一首
みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ
みかの原(恭仁京)が歌枕。恭仁京もすぐそこでしかも川が流れている土手。だからここに石碑があるんですかねぇ。でも現代感覚で考えると、ヤバ怖っていうか、ちょっとホラーな歌。会ったこともない、話したこともない、見たことすらない、なのに脳内妄想炸裂!でガチ恋した心を表した歌。
会った事ないのになんでこんなに恋しさがとまらないんだ。泉川(木津川)の水が湧き出てあふれるように、あなたへの想いがとまらない。愛しくてとまらない、死にそう~
みたいなそんな感じの歌。
これを情熱的というか口ペラというか‥‥。でもまぁ当時は、見たことない会ったことない喋ったことない人に恋して歌でアプローチ、これが普通だったわけですからね。種族保存本能的に考えたらこうなるしかない、しゃーないと言えばしゃーない。
女性はずっと家の中で隠れている、噂や妄想で恋心を温めるしかない。でもその分、実見したら幻滅することが99,9999%だったんだろうなぁ。
でもこの歌、誰かに贈った歌ではどうやらないみたいな感じ。明確な記録がいっさいない。と、なると‥‥急にこの歌の解釈がかわってくる。はぁ??キモッ!この遊び人!から、モテモテなのに可愛いところあるやん♪と、兼やんが急に可愛く思えてくる不思議。
まぁ、実はこの歌、実際の女性への恋というより、「みかの原」という土地そのものへの想いを、恋に例えて詠んだ歌とも言われている。
いずれにしろ、ぐにゃぐにゃ文字でなんの説明もなく、無視して通り過ぎられる石碑。これはなんとかしたほうがいい。木津川市ってなんか史跡の扱い相変わらず雑。








コメントを残す