悪霊を止めるには、あまりに丸見えだった――関大明神社

悪霊を止めるには、あまりに丸見えだった――関大明神社

🌊 大阪府の史跡

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JR山崎駅から徒歩数分。西国街道の細い道沿いに、関大明神社はほとんど身を隠さず立っている。鎮守の森もなければ、御神木らしいものもない。通りから狭い境内の全景が丸見えで、神社というより古びた木造小屋に近い。

ところが、その小さな本殿は室町時代中期の建立とされ、大阪府指定有形文化財だという。見た目と経歴が、まったく釣り合っていない。

境内の左脇には、「従是東山城国」と刻まれた古い石標が立っている。その左には「京都府・大山崎町」、右には「大阪府・島本町」の看板。まさに現在の府境でもある。

神社の入口には、「西国街道」と書かれた堂々たる背の高い木看板が立っている。

ここは、天王山と淀川に挟まれた狭い地形で、摂津国(大阪)と山城国(京都)の国境だった。古代から交通や軍事の要衝で、「山崎の関」と呼ばれる関所が置かれた場所である。

関大明神社は見かけによらず、「関所跡」「国境」「室町時代の本殿」と、歴史的な要素が三つも重なっている。

平安時代初めごろには、山崎の関はすでに廃止されていたようだ。その後、この地には藤原道長や平家一門など、貴族や官人が利用した「関戸院」という宿泊施設が置かれ、関大明神社はその鎮守社だったともいわれている。また、都への悪霊の侵入を防ぐ道祖神として祀られたとも伝わる。

「ここから先は都に入るなよ」とでもいうように、国境に守護神を置いた。
当時の都を中心とした世界観には、
「都=清浄な中心」
「都の外=穢れや災厄の来る場所」
という線引きがあったのではないか、と私は勘ぐった。

だが、「都=清浄」というのは、あくまで都に住む側の自己申告である。

実際の平安京は、人口と権力と汚物が集中し、疫病が広がりやすい巨大な増幅器でもあった。外から病が持ち込まれることはあっただろう。けれど、それを深刻化させたのは、都そのものの衛生環境と人口密集だった。

それでも人は、災厄の原因を自分たちの内側には置きたがらない。「外から穢れが入ってきた」「怨霊が祟った」と考えたほうが、都の側にとっては都合がいい。

自分たちは清浄な中心で、悪いものは外から来る。

ずいぶん虫のいい世界観である。

都は外を穢れ扱いしながら、外から人と物と富を吸い上げ、内部では疫病も権力争いも繰り返していた。清浄どころか、欲望と病が最も濃く集まる場所だったのではないか。

境内は何も隠していない。何しろ通りから丸見えである。むしろ、外を穢れと呼び、自分たちを清浄な中心だと言い張った都のほうが、よほど胡散臭い。

Googleマップ:関大明神社
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