🌊 大阪府の史跡
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正直、まったく期待していなかった。
「亀の瀬地すべり」。どうにも興味を失わせる、シケた名称ではないか。「亀の瀬すべり」と聞いて、行ってみたいと思います?(笑)
それでも数年前から、何度もその文字が目に入る。知らないままなのも癪なので、とうとう仕方なく出かけた。今後また「亀の瀬」という言葉を目にしても、「ああ、あそこね」と知った顔で流せるようになるためだけに。もう、脳のリソースを奪われ続けるのに疲れたのだ。

亀の瀬地すべり歴史資料室、この建物、昔の貨物列車を模してつくっているそうだ。なかなか洒落てる。建物手前の丸い開口部は、おそらくトンネルを模したものだろう。この歴史資料室、入場無料!そしてガイドつきツアーがあって、この資料室と排水トンネルと旧大阪鉄道亀瀬隧道の中を案内してもらえる。ちなみに、この無料ツアーを申し込まないと資料室以外は、鍵がかかっていて入ることはできない。もうなにがなんでもツアーに参加させようという執念のようなものすら感じられる気がした。

資料室内には、ジオラマがあって列車が走っている。なぜか感動したのが、ファミリーマートまであることだ。ここへ来る途中に見かけた坂の下の神社の鳥居もあり、川も、人も、車も、数軒の民家も再現されている。自分の家をこのジオラマの中に見つけた人は、さぞ感慨深いだろう。かなり精巧で、現実に忠実につくられている。
鉄道を飲み込んだ地すべり
旧石器時代、約4万年前からこのあたりは地すべりが起きていたらしい。万葉集や日本書記にも「畏の坂」「懼坂」とあり、昔の人が恐れをなしていたことがわかる。地すべり記録を残し始めたのは明治以降とのこと。
明治25年、湊町、現在の難波と奈良を結ぶ鉄道が開通し、亀の瀬トンネルを蒸気機関車が走るようになった。大正12年には新たなトンネルが設けられ、路線は複線化される。

ところが昭和6年11月、再び地すべりが始まった。翌年2月には上下線とも運行休止。復旧を試みたものの手に負えず、ついにトンネルは放棄された。
その間、乗客は約2キロの山道を歩いて行き来していたという。今なら大混乱どころではない。
40万人が押し寄せた「地すべり景気」
さらに驚いたのが、「地すべり景気」である。
昭和7年2月のわずか一か月間に、約40万人もの見物人が押し寄せた。多い日には一日2万人。亀裂やトンネルを見学する道の両側には、飲食物、土産物、さらには「地すべり記念絵葉書」まで売る店が並び、大繁盛したという。
当時の新聞の見出しは、「貨物車も出て見物人大洪水」。
人間、巨大災害まで観光地にしてしまう。

国を挙げた工事は今も続く
昭和7年4月から内務省による国を挙げての復旧工事が始まった。当時は重機が無かったから全て人力だ。だが、7月の降雨で再び地すべりが発生。川がふさがり浸水被害。12月に急遽、橋をつくって川の南側に新しく線路をつくった。近鉄がまだなかった当時、大阪の人々は正月の伊勢参りにこの鉄道を利用していた。そのため工事は急がれ、硬い岩盤をくりぬき、別の橋のために保管されていた資材まで集めて橋を架けた。川に対して直角に架けた橋の上を、線路だけが斜めに横切るという力業である。そして、12月31日に開通させた。

昭和33年から建設省(現在の国土交通省)の直轄工事となり、その対策工事はなんと、今も続いているという。約100万立方メートル近い土を運び出し、170本以上の杭を地中に埋めこんでいる。
面白かったのが、「雨水キャッチ実験模型」だ。亀の瀬の地形を忠実に再現した模型で、備え付けのビー玉のようなものを流すと、滑った土砂が川の出口をせき止める状況を体験できる。その後、奈良側に水がたまり、更に堰き止めた土砂が崩れると、下流の大阪側に水が一気に流れ大阪平野が水浸しになる。想定被害額は約6兆円だそう。そりゃ国も対策に必死になるわけだ。

ナメクジとカマドウマの排水トンネル

続いて、資料室から徒歩2分ほどの場所にある1号排水トンネルへ向かった。中はひんやりしていて暗く、ペンライトが一人一個ずつ貸し出された。中央の苔むした水路には、なぜか人の足跡が残っていた。わざわざ水路の中を歩いた人がいるのだろうか。トンネル内の壁が一部くりぬかれ地すべり面が見られるようになっていた。

入口から100メートル地点、ここは落盤事故が起きたところだそう。集水井とよばれる縦井戸。井戸を下から見上げる。上から水がぽたぽたと降ってくる。更に進むと、西支線と本線に二つにわかれていた。さらに進むと、天井や壁の水抜き穴から絶えず水がしたたり落ちていた。トンネルの大きさがガクンと小さくなった所からは進入禁止。中をのぞくとさらに水浸しで確かに歩けるような状況ではなかった。

しかし、行きには気づかなかった。だが帰り道、見てしまった。壁一面を這うナメクジを。一度気づくと、もう駄目である。足元ではカマドウマまでぴょんぴょん跳ねている。見学者の一人のふくらはぎから膝あたりまでカマドウマが上ってきて、短い悲鳴が上がり、場がざわついた。
排水路は24時間計測され、水がたくさん出ると警戒が発せられるようにシステム化されている。

土砂の中から現れた旧亀瀬隧道
1号排水トンネルを出て、7号トンネルへ。ここには直径6.5メートル、長さ100メートルの杭が55本ずらっと並んで埋め込まれている。2008年、排水トンネル掘削中に、偶然に潰れているトンネルにぶつかった。昭和7年の地すべりで全壊したと思われていた亀の瀬トンネルの一部だ。

トンネルを進み、旧大阪鉄道亀瀬隧道に出くわした瞬間、「すごい!」と圧倒された。壁面は強度が高いイギリス積み、上部のアーチ部分は長手積み、二層で表情が変わり洒落ている。蒸気機関車が走っていたので天井は煤で黒くなっている。
壁の一部がくりぬかれ、レンガの向こう側を埋め尽くす岩塊を見ることもできる。そして、トンネルの先は、大量の土砂が流れ込み行き止まりになっていた。あまりにも生々しく恐ろしい。自然の脅威がどっと押し寄せてきた。

そして、最後は、旧大阪鉄道亀瀬隧道がプロジェクションマッピングで装飾される。なんと気前がいいことに写真やビデオ撮影OK!とのこと。幻想的で不思議な映像から始まる。天井がグルグル回る。流れてきた土砂で行き止まったトンネル端から春日大社の龍神が飛んでくる。列車に乗って太古の昔に戻り、亀の瀬の歴史を体験することができる。まずは大噴火である。今から数百万年前、この辺りには「ドロコロ火山」と呼ばれる火山があり、少なくとも2回噴火したと考えられている。そのドロコロ溶岩の下にある地層が、浸透水などによって軟質化し、すべり面が形成された。優雅な天皇御一行の行幸風景なども流れる。
亀の瀬という名称だからだろう。びっしりと六角形がトンネル内全体に映し出された映像はちょっとゾッとした。(笑)
シケた名前だと思って、すみませんでした
名前を見ただけで「どうせシケている」と決めつけ、仕方なく出かけた亀の瀬だった。
ところが、鉄道を飲み込んだ地すべり、40万人を集めた地すべり景気、今も続く国家規模の対策工事、土砂に塞がれたまま残る旧隧道。最後には、龍神まで飛び出すプロジェクションマッピングである。
しかも資料室もガイドツアーも無料で、写真も動画も撮影可。
亀の瀬、名前だけで判断して悪かった。むしろ、ここまで気前がよくて大丈夫なのかと心配になった。

亀の瀬地すべり 写真一覧















































































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