🍁 京都府の史跡
今日も来てくれてありがとう!よければ一押しポチっと応援してってね〜。京都縦貫自動車道の大きな橋の下にある広々とした公園と広場。静かで誰もいない。公園前に置かれた装飾された賑やかな自販機だけが異様に目を引く。気味の悪いほど目を引き、気づけば足が向いていた。自販機前に辿り着く。

「はげネズミ」だとか「サル」だとか容姿を嘲られる呼び名を、後世にまで残された秀吉が 、こんなに可愛かったの~!?っていうイラストで描かれている。対するクールで眉目秀麗な感じの明智光秀のイラスト。二人並んで描かれ仲良さそうに見える。しかし文字は不穏である。
「山崎合戦の地」「天下分け目の天王山」などという物騒な文字が連なる。そこに紛れ、ケンタッキー・フライド・チキンのあの御馴染みのマークとハンバーガーの写真。その横には”15万名さまにバーガー当たる!”と印字され、現代の一見平和な世の中と「山崎合戦古戦場跡地」とのギャップの場違いさに、思考が一拍遅れる 。

そう、この辺り一帯は、天正10年6月13日に山崎合戦が起こり光秀の運命を決めた古戦場跡地である。川を挟んだ向こうに見えるは天王山。
常識外れの速度で西から駆け戻った秀吉軍。 対する光秀は、味方になると信じていた細川氏や筒井氏にも見放され、さっさと天王山に布陣した約2万~3万の秀吉軍を約1万5千の軍で迎え撃つことになった。

「山崎合戦古戦場跡」の石碑がたつここは、明智軍の最前線の地だった。眼下を流れる円明川(現・小泉川)を挟み、秀吉軍と対峙。秀吉軍の先鋒・中川清秀や高山右近らが川を渡って攻め込んでくると、明智軍の先鋒・斎藤利三らと激しい激突が起きた。それがちょうどこの辺りである。
一進一敗の攻防線だったが、次第に追いやられ明智軍は敗走することになる。史料上、戦闘は驚くほど短時間で決着したとされる。
明智家のその無念を慰めるかのように、人はそう言いたくなるが、 「山崎合戦古戦場跡地」には、今でも陸生のヒメボタルが生息し、初夏には優しく儚げな一途な光を放ちながら夜空を飛び交っている。

ここから徒歩10分ほどの距離には光秀が本陣を敷いた境野一号墳がある。本陣跡近くの非公開区域では、合戦当時に急造されたとみられる堀の痕跡が確認されている。現在は一般公開されていないが、戦いの切迫感を静かに物語っている。

当時の様子がありありと思い浮かべられる不思議な場所。
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2026/01






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