日本最初の図書館 芸亭

日本最初の図書館 芸亭

🦌 奈良県の史跡

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車が絶え間なく行き交う国道24号線沿いに、控えめに立つ白い看板。 以前から気になっていたのだけれど、今日、初めて、ちょうどこの辺りを徒歩で通る用事があったのでちょっと寄り道してみた。看板の後ろに見えるのは奈良市立一条高校。

ここが、日本最初の公開図書館「芸亭」があったといわれているところだ。「芸亭」は“うんてい”と読むが、史料によっては“うんじょう”とも読まれる。

奈良時代に大納言にまでのぼりつめた有力貴族である石上宅嗣が、自分の旧宅を改築し、阿閦寺とした。

石上宅嗣は、漢詩や書に優れ、淡海三船と並ぶ文人の筆頭と称されていた人物。

762年、阿閦寺の一隅に書庫を設けた。そこには仏教経典ではなく、儒教や文学など“俗なる知”の書物を集めた。しかも誰でも読めるように——。 これが日本最初の公開図書館といわれている。

既に仏教は国家の保護をうけていたため寺院には経蔵(経典を所蔵)があり、僧侶らは仏教経典を自由に閲覧できた。しかし、儒学や文学などの外典は、貴族の私的な書庫にあることはあっても、僧侶ではない一般人や好学の徒が閲覧するのはなかなかに不可能なことだった。

それを石上宅嗣が私財を投じて外典を収集し 、誰もが閲覧できるよう公開した。

しかし、誰もが閲覧できる公開図書館、といっても、当時、文字が読める人は限られていた。読み書きができたのは、ごく一部の支配層のみ。貴族、官僚、一部の僧侶のみだった。

よって、この公開図書館は、文字を読むことはできるけれども、高価な書物を私的に所有することができない身分の低い官僚、地方から都へ出てきた知識人、志の高い僧侶などなどの好学の徒に対して、無料で公開したものだ。農民など一般人が文字を読めるようになるのは江戸時代の寺小屋からである。

古代の有力豪族・物部氏族(石上氏)という名門の最高幹部として、奈良時代後期の最高の文化人・政治家として活躍した石上宅嗣。しかし781年、石上宅嗣が死去すると「芸亭」は、運営維持が難しくなったようだ。石上宅嗣のような私財を投じて公共に利するような強力な支援者もいなく、蔵書の補充はもとより施設の運営維持すら困難になったらしい。追い打ちをかけるように8世紀末、都は平城京から長岡京、そして平安京へと移り、人も減っていった。 9世紀初頭には阿閦寺の廃絶とともに芸亭もなくなったようだ。

芸亭跡から徒歩10分程度、数百メートルの場所には奈良時代に建立された法華寺が今もある。総国分尼寺である法華寺は光明皇后の宮殿を寺院化したもので、当時の仏教の中心地のひとつ。法華寺の尼僧たちも嘗ては芸亭を利用したのだろう。


静かな住宅街の一角、車の往来が絶えない国道24号線沿いに、
「芸亭伝承地」と書かれた白い看板がひっそりと立っている。
ここが、日本で最初に“知”を解放した場所。
地図で位置を確認してから、ぜひ一度、歩いて訪ねてみてほしい。

Googleマップ:芸亭伝承地

千年以上前、石上宅嗣がここに築いた芸亭は、知識を特権から解き放ち、人々へ開いた小さな革命だった。
今はもう建物も書庫も跡形もないけれど、風の中にその精神がまだ生きているように感じられる。
本を手にするたび、私たちはその意思を、ほんの少し受け継いでいるのかもしれない。

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芸亭の写真一覧

2025/11

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