「悲恋の采女と衣掛柳の伝説」碑

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恋に破れた女神、猿沢池に眠る

猿沢池。奈良観光のど真ん中にあるこの池が、まさかこんなにも重たい「失恋の聖地」だったとは、初めて知ったときはちょっと衝撃だった。

スタバからの景色は最高だし、池の向こうに五重塔、そして静かにたたずむ…采女神社

この神社、実は「失恋して入水自殺した采女(うねめ)」を祀っているという。
えっ、なのにここ、縁結びの神様なんすか?いや、それ逆じゃね??と、思わずツッコミたくなる。

だって、彼女は、帝に一度だけ寵愛されて、その後ポイ捨てされ、失意の中、池に身を投げた女性。
そのとき、衣を掛けたという「衣掛けの柳」もちゃんと碑になって残ってる。

で、帝はこう詠んだんだとか。

猿沢の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし

──いやいや、たった一晩でポイしておいて「吾妹子(あがいもこ)」は無理あるやろ。
その後、慌てて池に背を向けるように神社を建てたっていうのも、なんか、祟り対策っぽいんだよなぁ…。


朝廷に「寄進」された若者たち ー 采女と兵衛の現実

かつて、全国の郡司は朝廷に娘や息子を「貢進」する義務があった。
美名に聞こえるけど、要は「郡単位で若者を差し出せ」という強制制度である。

男子は武官としての才を見られ、強くて弓馬の技に優れた者が選ばれ、兵衛に。
女子はというと……**容姿端麗な13〜30歳(後に16〜20歳)**が基準。つまり、天皇の食事係・祭祀係という名目ながら、実態は「夜のお相手」。

まさに「見た目重視」「使い捨て」仕様。郡司としては、嫌でも娘や息子を捧げなきゃならなかった。


采女、猿沢池へ──伝説とその後

そんな中、現在の福島県郡山市(安積)から選ばれて都に上がった采女。
帝の寵愛を受け、しかし…一晩だけで放置プレイ。純粋に恋してしまっていた采女は、絶望し猿沢池に入水──。

その後、春日大社で僧と出会った幽霊のエピソードも語り継がれ、采女神社が建立。
しかも社殿は、池に背を向けて建てられている。これ、天皇が一夜にして池に背を向けたという伝説の再現らしい。つまりは祟り対策説、再燃。


福島の伝説:采女=春姫説

一方、郡山市側の伝説も興味深い。
朝廷への貢物ができず困っていた安積の里に、巡察使・葛城王がやってくる。
美しい里長の娘・春姫を見て、「彼女を采女にすれば年貢3年免除してやるよ」と提案。えげつないバーター取引で春姫は奈良へ。

だが、心にいたのは故郷の恋人・次郎。忘れられず、中秋の名月に猿沢池で入水自殺を装い、奈良から福島へ逃げ帰る
…が、帰った先では次郎が既に後追い自殺していた。春姫は病に倒れ、やがて同じ清水へと身を投げたという。

その清水の周辺に咲いた薄紫の花が、「花かつみ(ヒメシャガ)」。


現代の采女たち?:祭りと願いとズレた信仰

今では、郡山市には「采女通り」があり、毎年「采女まつり」が開催。
奈良でも「采女祭り」が中秋の名月に行われ、猿沢池に龍と鳳凰の船が浮かび、花扇を奉納。

祀られてる彼女は…悲恋と失意と入水と幽霊と逃避行のフルコースなのに、
今じゃ**「縁結びの神様♡」**とあがめられ、婚活女子に大人気。

…いやほんと、意味わかってる?と問いかけたくなる。


猿沢池畔、古の悲恋と伝説が今も静かに息づくこの場所に、彼女の記憶が眠っています。

Googleマップ:「悲恋の采女と衣掛柳の伝説」碑

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木津者(きづもの)と申します。
奈良と京都の境目あたりを、ふらり歩いては史跡に耳をすませる日々。真面目に、でもちょっとだけゆるく。忘れられかけた風景や物語を、やさしく拾って紹介しています。

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