🏞️兵庫県の史跡
今日も来てくれてありがとう!よければ一押しポチっと応援してってね〜。樹齢160年 紅葉したドウダンツツジと雪景色?
但馬安国寺と言えば樹齢100年以上と言われるドウダンツツジの紅葉が見事で有名。一般公開最終日の夕方に訪れたが、それでも見学者はパッと見100人以上いた。ちなみに私の滞在時間は30分もあったかどうかだ。拝観料は一人500円、ざっと見、最終日の夕方30分位で5万円の儲け。1日にしてもすっごい稼いでいるツツジである。そして檀家さんなのかなぁ?ご年配のスタッフさんがテキパキと誘導していた。

演出が神!
しかも境内はビックリするほど狭い!境内だけではない、本堂もビックリするほど小さい。そしてドウダンツツジの紅葉が見える所の戸が開け放たれ、床3分の1くらいに黒色のテカテカ光る板をおいている。この黒板があることで水面にうつった紅葉をみているかのような演出が完成している。
そして、その黒板のところにはスタッフさんがいて、、写真を撮るためにスマホを載せようとしている人とか黒板に乗ろうとしている人に注意をしていた。嫌われる嫌な役目ですね。しかし、そのスタッフさんに聞くところによると、その黒色テカテカの上に物や手を置いたりしただけで板が割れてしまうのだとか!

写真のコツを伝授された
私などは品行方正なので♪スタッフさんが良い写真が撮れる方法を伝授してくれた。ツツジはさすが一般公開最終日、連日の雨で紅葉したツツジのほとんどが散ってしまっていたけれど、それが逆に雪をまとったように見える巷に出回っていないような不思議な紅葉の写真が撮れた。ここの真っ赤に美しく紅葉した立派な写真は出回っているけれど散り終わる最終版の写真はみたことない。

現代版 軍師の影
ドウダンツツジは樹齢160年、ハサミをいれたりなどはいっさいしていないそうだ。まさに自然のままがうり。このドウダンツツジを戸をあけ放つことで室内から見せ、しかも床にまるで水面に映った風景をみているかのような演出がされてあって、それが話題を呼びこの人の入り方。こんななにもない田舎にある小さな小さなお寺にこれだけの観光客が押し寄せる、すごいマーケティングだなって感心した。まるで竹中半兵衛や黒田官兵衛なみの頭の相当キレる仕掛け人がいるに違いない。
但馬安国寺の歴史
安国寺は、鎌倉時代後期に無本覚心(法灯国師)により開山されたと伝わる。

南北朝の戦いの戦没者供養のため尊氏がつくらせた
足利尊氏・直義兄弟は、臨済宗の高禅僧・夢窓疎石に深く帰依していた。真言宗や天台宗は既に勢力もあり既得権益も確立していた。一方、禅宗などの新仏教は、新興勢力の足利幕府と結びつきが強かった。尊氏は夢窓疎石の勧めにより、国家安穏と南北朝の戦いの戦没者の供養のため一国一寺(66か国2島)に禅宗の寺院(安国寺)と利生塔(釈迦の遺骨を納める)を建立or改修させた。
その際、但馬安国寺は、後醍醐天皇をはじめとする南朝の戦没者の菩提を弔うために、真言宗から禅宗に改宗し、「安国寺」と改称された。ここまではいい話だけれど、実際は、それまでその寺院にいた僧侶たちは真言宗や天台宗から禅宗に改宗するか、寺を退去しなければならなくなった。中には既存寺院の敷地内に安国寺が新設されたケースもあったがあまりにも酷過ぎる。

今に残る但馬安国寺
その後、安国寺は、戦乱、災害、廃仏毀釈などで現在では廃寺になったり名称変更されてりしている。但馬安国寺は数少ない生き残りの寺院である。
当時、但馬安国寺は、室町幕府から朱印と三百石余の禄が与えられていて、七堂伽藍を有する立派なお寺だったと伝わる。しかし、1717年の火災でそれらことごとくを焼失。現存している仏像は釈迦如来、聖観音菩薩、薬師如来の3像のみである。
本堂の中正面には、禅宗の源流でもある達磨大師の絵が飾ってある。達磨大師は南インドの香至国の第三王子であった。インド仏教の偉大な祖師・般若多羅に師事し仏教の教えを深く学んだ。そして、真の文教の教えを広めるために、インドから中国に渡った。しかし時の皇帝・梁との問答がかみあわず、魏の国にはいり、嵩山の少林寺にて壁に向かって9年間座禅し続けてたことで知られている。
その伝説には生活の詳細はわかっていないようだが、9年間座禅し続けたといっても現に生きているわけだから、誰かが食事や風呂を用意しただろうしトイレにもいったはずだ。

達磨大師の伝説とは
達磨大師は、9年間引きこもり座禅をし続けたことで神格化されている。しかしこれはアウトドア派とかパリピ側の人たちから見て凄い人なのではないのだろうか?私などは家で一人で読書したり等して過ごす自分の時間がとても大切である。しかし実際は外出しなければならないし、最低限にしても人間との付き合いもある。引きこもることは不可能である。生活の面倒をみてもらえ部屋に引きこもって好きな事をしていられるのは正直羨ましい(笑)なのでどうしても達磨大師にたいしては超辛口になってしまう。それをふまえた上でどうしても言いたいことがある。禅宗の信者さん方にぶん殴られそうだが‥‥
達磨大師を称賛したり信仰したりしている人たちは、世の引きこもりたち、それこそ20代にスタートし50代、60代になっても数十年間引きこもっている彼彼女らを称賛し信仰の対象とするべきなのではないだろうか?

まぁ達磨大師は9年間の引きこもりの後、二祖 慧可に法を継承し、禅宗の系譜を確立し、偉大な社会貢献を成し遂げているが。現に私も座禅は好きであり実践もしている。
伝説によると、達磨大師は、9年間の修行により手足が腐り落ちてしまった、もしくは足の機能が失われてしまった、ということであの縁起市で賑わう起き上がりこぼしの達磨さんや、手足の無い丸い姿で描かれるようになった。
足の機能が失われたのはわかる、しかし腐り落ちたはいくらなんでもないだろう、物凄い匂いだろうし蛆がわくんじゃないか?そんなの放置できんだろう。そして己の体を大切にせず座禅をし続けることがそんなに凄いのか?壁に向かって座禅するならせめて瞑想しながら筋トレくらいしろよ!って正直思うよ。自分の事をまるで放置している人がそんなに偉いのか???理解不能である。

そして達磨大師は、眠気が悟りの妨げになるとして、自ら瞼を切り落としたとされている。だからあの変な目つきの絵が出回っているし、達磨人形も黒目を入れる形になっている。切り落とした瞼が地面に落ち、そこから茶の木が目を出した!お茶の起源になっているそうですねぇ。よって禅宗と茶道は縁が深い。お茶って達磨大師の瞼が起源?とかって聞くと途端にキモいものに思えてくるから正直やめて欲しい。
※もちろん、これは達磨大師そのものを揶揄するものではなく、伝説として誇張されて伝わった部分にツッコミを入れているだけである。

しかし冷静に考えてみよう。引きこもっていたのだから元々自分で刃物を持ち込んでいたか、誰かに瞼を切り落とすための刃物を頼んで持ってきてもらったことになる。頼まれた人、持ってくか????しかも切り落として終わりではない。消毒なり手当をしなければ感染症で死に至る可能性も高く、痛みも尋常ではないはずだ。瞼切ったからずっと目を開けていられる♪なんて座禅しつづけられるかぁ????こういうトンデモ説がうさんくさい匂いを放ち達磨大師をついついディスリたくなってしまうのだ。
さて、達磨大師が創始した禅宗は、数百年の時を経て鎌倉時代に日本の僧侶(栄西や道元など)によって中国から日本へ伝えられた。禅宗では、達磨大師は、仏陀の精神と悟りの境地を受け継いだ西天二十八祖の系譜の最後(第28祖)に当たる人物であり、法脈状の正統な後継者だとされている。禅宗では重要な真実として伝わっている。歴史学の観点からは信仰上の系譜にすぎないが…
とにかく、但馬安国寺はマーケティングのプロ中のプロがいる。そしてそれが現代に非常に相性がいい。なにしろ、撮った写真を得意気にインスタやXやらを始めとした媒体に”映え”とかいって見せびらかすのが大流行中だからだ。そこが最大の関心・感動・興味ポイントだった。
実際に現地で自分の目で見た時の感動は、写真や動画とは雲泥の差でした。実見の価値あり!の

但馬安国寺 写真一覧



















































































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