🍁 京都府の史跡
今日も来てくれてありがとう!よければ一押しポチっと応援してってね〜。六車線の大通りが交差し、途切れることのない車の流れと人波が行き交う。
写真を撮ろうとすれば、車のナンバーや誰かの顔がどうしても入り込む。
落ち着いてシャッターを切ることすら少し気が引ける、そんな場所だ。
京都駅から徒歩数分。
ファミリーマート京都駅八条口西店前。
自転車が無造作に並ぶその足元に、ひっそりと石碑と説明板が立っている。
ここが、平重衡受戒の地である。

いまはビルやマンションが立ち並ぶこの一角も、平安後期には藤原家成の邸宅、「八条堀川の御堂」があったと伝わる。家成は平家と縁が深く、平清盛も出入りしていた人物だ。家成の死後も邸宅は遺族によって管理され、後に歴史の舞台となる。
一ノ谷の戦いで源義経に敗れ、捕らえられた平重衡。
京都に送られ、引き回しののち幽閉された場所の一つが、この八条堀川の御堂であったとされる。
重衡はここで、法然上人に戒を授けてもらいたいと願い出た。
幽閉の身でありながら、実現したという事実が興味深い。
土肥実平は処刑へ向かう側の人間でありながら、正妻との面会を許すなど、完全な冷酷さだけでは語れない振る舞いも見せた。
重衡は鎌倉でも厚遇されたと伝わる。対面した者に、どこか人を動かす力があったのだろうか。
南都焼討の責を負わされた重衡は、最終的に僧兵らの強い要求により処刑される。
しかし、彼が受戒し、最期まで念仏を唱え続けたという事実は、武将としてではなく一人の人間としての姿を後世に残した。
権力も軍勢も失い、命の期限が見えている状況で、人は何にすがるのか。
法然の教えは「念仏を唱えれば誰もが救われる」というものだった。
武将であろうと、敗者であろうと、罪を負った者であろうと。
六車線の喧騒の真ん中で、念仏を唱え続けた男の静けさを想像するのは難しい。
それでも、この石碑は確かにそこに立っている。
車と人込みと自転車に囲まれたコンビニ前で、敗者の祈りだけが、都市のノイズに埋もれずに残っている。

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