志賀直哉旧居

志賀直哉旧居

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陽キャの館に、陰キャが足を踏み入れてみた話。

奈良・高畑の住宅街を歩いていたら、突如現れる立派なお屋敷。そこに掲げられた文字、「志賀直哉旧居」。……えっ、ここ、あの文豪の家なん?

実はこのお屋敷、志賀直哉が人生で23回もした引っ越しのうち、15回目に選ばれた家。どう考えても住むっていうより“旅”してる人生だけど、この高畑の邸宅には、なんだか“腰を据えた感”があるんですよ。

場所も最高。春日山原始林の息吹が感じられ、新薬師寺や白毫寺が散歩圏内で、なんなら奈良公園まで歩ける。住むだけで脳のシワが増えそうな環境。

それでいて入館料はたったの350円。え、うそでしょ、そこらのカフェラテより安いじゃん。これはもう行くしかない。

玄関をくぐると、目に飛び込むのは緑のカーテン。いや、もう“森”じゃん。しかも見学者は私一人。静かすぎて、自分が大名になった錯覚に陥ります。受付のおばあちゃんが「2階から見てね〜」と声をかけてくれて、さっそく上がってみたら……広い!

そして豪華! 数寄屋造りの和風建築に、アールデコな西洋のスパイスをひとさじ。設計はなんと志賀直哉本人。どういう頭してんだこの人……。しかも9年で引っ越してるって、どんな贅沢やねん。

それでもやっぱりこの家、ただの豪邸では終わりません。2階から見える春日大社や御蓋山の景色は、もう絵画レベル。毎日こんなの眺めながら原稿書くって、贅沢の極みですよ。

そんな彼の書斎で『暗夜行路』が完成したと知ったときは、ちょっと鳥肌立ちました。この静けさと光の加減、集中せざるを得んやつや。

驚いたのは“高畑サロン”と呼ばれたこの家の食堂。毎月50人もの文化人が訪れて、囲碁・麻雀・芸術談義三昧。……私だったら3人目で居留守決定です。笑

そして極めつけは庭のプール。最初「これ、プールって呼んでええのか!?」と思ったけど、よく見たら意外と実用的。ビニール膨らまさなくていいって、現代人でもありがたい仕様。

最後にもう一度言わせてください。志賀直哉、リア充で陽キャでイケメンで愛妻家って、なんなん? しかも「銅像・記念碑つくるなよ」って遺言まで残してるあたり、人格まで渋すぎる。完敗です。


志賀直哉旧居 ─ 文豪が創った住まいの美学

奈良市高畑町にある「志賀直哉旧居」は、昭和4年(1929年)に建てられた志賀自身の設計による邸宅である。彼は京都の数寄屋大工・下島松之助の手を借りて、この地に理想の住まいを実現させた。

構造は、和風数寄屋建築に西洋のアールデコ、さらには中国風の意匠が調和する独自のスタイル。邸宅には大小三つの庭、天窓のあるサンルーム、20帖の大食堂、そして家族それぞれの居室と、実用性と美しさを兼ね備えた空間が広がる。

この家で彼が最も愛したのが、北向きに位置する2階の書斎。『暗夜行路』の後半はこの静謐な空間で執筆されたとされる。

さらに、当時この家は多くの文化人の社交の場でもあった。谷崎潤一郎、武者小路実篤、小林秀雄らが訪れ、サロンとしての機能も果たしていた。現在では、国の登録有形文化財(2000年指定)、奈良県指定有形文化財(2016年指定)に登録され、一般公開されている。

設計思想には、動線の工夫や生活空間への配慮が随所に見られる。女中部屋は狭いながらも効率的な配置、冷蔵庫や洗面所の設備にも当時の最新技術が用いられた。

志賀直哉はこの家で9年間を過ごし、文学のみならず建築においても“生活の美”を体現した存在だった。


志賀直哉旧居の場所はこちらです。春日山原始林や新薬師寺にもほど近く、奈良散策の途中でふらりと立ち寄れる距離感です。

Googleマップ:志賀直哉旧居

美と静けさを求めた文豪が、自ら設計して暮らしたこの邸宅。ぜひ実際に訪れて、彼の世界観に触れてみてください。


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木津者(きづもの)と申します。
奈良と京都の境目あたりを、ふらり歩いては史跡に耳をすませる日々。真面目に、でもちょっとだけゆるく。忘れられかけた風景や物語を、やさしく拾って紹介しています。

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