御堂めぐり西大寺ー入ったらこんなにすごかった!ー

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🦌 奈良県の史跡

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「四王堂・本堂・愛染堂 3堂共通拝観800円」と書いてある。
ところが、券を売っている場所が見当たらない。

堂の階段をのぼった先にある箱にお金を入れるのかと思ったが、どうも違う。
受付を探して右往左往した末、四王堂の扉が少しだけ開いているのに気づいた。そっと覗くと、中に人が座っている。ここが受付だった。

……いや、ここ、初見では分からない。
「受付はこちら!」くらい矢印付きで貼っておかないと、客が逃げる気がする。

■ 四王堂(撮影禁止)

内部は撮影禁止。四王堂は江戸時代の再建だという。
重要文化財の四天王像は、想像以上に“生々しい”。躍動感と迫力が、じわじわ心を殴ってくる。

増長天に踏みつけられている邪鬼の足が、妙にリアルで、ちょっと見ていて落ち着かない。
しかも増長天が振り上げている武器の位置が、自分に当たりそうで危ない。仏像なのに危険物。

この四天王像は称徳天皇の誓願によるものだそうで、鋳造の際には称徳天皇自身も灼熱の銅を攪拌したと伝わる。
そして再三の災禍をくぐり抜け、創建当初のものとして残っているのは、あの邪鬼だけらしい。
「なぜ邪鬼だけが生き残るのか」っていう謎が、妙に西大寺っぽい。

像の横に回り込んでさらに驚いた。
後ろから木の支え(梯子のようなもの)で身体を固定し、腰や背中には縄が回され、さらにワイヤーで壁に留められている。

盗難対策というより、これは地震対策だろう。
仏像も、現代では“倒れないように補強されて生き残る”。

■ 十一面観音と、なぜか気になる仏

十一面観音菩薩は見上げるほど大きく、6メートルもあるそうだ。
そして相変わらず、理屈では理解できても、菩薩の頭の上は謎すぎる。
理解はしている。感情が追いつかない。

もともとは鳥羽上皇の御願寺の本尊だったものが移されたという。
でも私の目を奪ったのは、十一面観音の前にいた炎をまとった仏像のほうだった。
人間ってだいたい、理屈より“迫力”に負ける。

■ 道鏡と称徳天皇、そして美意識のズレ

道鏡像は、まるで生きているみたいにリアルだった。
称徳天皇の御影を見て、ふと思う。

称徳天皇って、現代基準ではあまり“綺麗”というタイプではなかったのかもしれない。
というより、当時の美意識が現代とまったく違うのだろう。

昔の絵は、現代の感覚で見ると正直「美しい」と言い切りにくいものも多い。
でもそれは、こちら側が勝手に“現代の目”で裁いているだけでもある。

■ 本堂(外観だけで強い)

重要文化財の本堂は、外側から見ても圧倒されるほど立派だった。

屋根を下から覗くと、格子の一本一本がしっかりしている。
屋根を支える木の留め具も、装飾的でおしゃれな形をしているのに、ちゃんと機能しているのが分かる。
彫り込まれた繊細な飾り、重厚な扉。全部が“本気”。

手水舎の龍は可愛い。
長い尻尾もいい。よく見ると口から水が出ているのだが、その様子が「よだれ」に見えるのがなんとも言えない(笑)

本堂は江戸時代中期の再建。
堂内に入ると、見たこともないほど大きな古い提灯が天井から吊られている。
天井も彫刻で飾られ、格子状の構造は「忍者が潜んで覗けそう」な雰囲気すらある。

そして何より寒い。
一月中旬、数分しかいないのに床が冷たく、足が凍えそうだった。
昔ここで修行していた僧侶たちは、どれだけ寒かったのだろう。

中央の釈迦如来像ももちろん立派だが、私が気に入ったのは、その像を守るように鎮座する金ぴかの四体だった。

十六羅漢図は、半裸の人たちが入り乱れていて、どう見ても品のない宴会に見えた。
でも説明によると、これは悟りの世界を表す絵らしい。
こんな混沌の中でも悟っている。
常人には分からない境地である。

地蔵菩薩立像は、静かにブチ切れているような顔をしていた。
文殊菩薩像を囲む四人(神?)も、それぞれ個性が強すぎる。
類は友を呼ぶの真逆が、ここにあった。

■ 愛染堂と叡尊の“生きている像”

愛染堂は、本堂に比べると控えめで質素に見えた。
ちょうどこの場所が、叡尊上人が住まわれていた跡地だという。

都が変わり、忘れ去られ、災害が重なり、かつて百十数堂舎が並んでいた広大な西大寺は荒れ地と化した。
それを鎌倉時代に復興したのが叡尊である。

現在の愛染堂は、江戸時代に近衛家邸宅の御殿を寄進され、移築して仏堂にしたものだそうだ。

そして愛染堂で圧倒されたのが、国宝の叡尊坐像。
叡尊80歳の賀を寿いで、生前に制作された像だという。

「叡尊その人と見紛うばかりの出来栄えを示す当像は、叡尊の分身として大切に伝承されてきた」と説明されていた。
確かに、生きているように感じる像だった。
でも不思議と、ゾッとする感じはない。
むしろ静かに、こちらを見守っているようだった。

■ 聚宝館(寺宝展が特別開館)

ラッキーだったことに、聚宝館の寺宝展が特別開館していた。

入った途端、ガラスケースの中に昔の手書きのお経が展示されていて、胸が詰まった。
分厚いお経が巻かれ、紙でくるりと包まれている。
古びたその姿を見て、当時の僧侶たちはこれを手に取り、学び、修行していたのだと思うと、急に現実味が増す。

鎌倉時代、叡尊のもとで開版印行が行われたという。
その124枚の古版木も展示されていた。
巨大な平面のハンコみたいなものが、静かに並んでいる。

■ 「平城京随一」の衝撃

そして西大寺に置かれていた平城京復元平面図には、はっきりこう書いてあった。

「平城京随一の広大な土地を占めていた」

その一言のせいで、私は東大寺や元興寺が小さく見えるくらい、西大寺のスケールに圧倒された。
ところが帰宅してネットで平城京復元平面図を調べてみると、「西大寺が随一」と断言する説明は意外と目立たない。

あの“随一”は、いったい何の範囲の話だったのだろう。

■ 美と福の概念が揺れる

柿本人麻呂図額の人麻呂は、人相が悪かった。
これも美意識の違いなのだろう。
もし「どこにでもいる普通のおっさん」だったら、それはそれで衝撃だ。

そして相変わらず、釈迦の頭のクルクルは理性では理解できても、感情が追いつかない。

私が気に入ったのは、江戸時代につくられた勢至菩薩像。これは可愛い。
そしてこれは禁句かもしれないが、平安時代につくられた重要文化財の吉祥天立像は、だらしないブサイクなおばさんにしか見えなかった。

しかも説明には「この吉祥天立像だけ他の同像となんか違う」と書いてある。
異色の吉祥天なのだろうか。
過去に見た吉祥天はもっと美しかった気がする。

これだけでも300円払って見る価値はある。
美と福の概念が、少し揺れる。

面白かったのが、室町時代に作られた行基菩薩絵詞。
巻物なのに、行基の周りがうまく切り取られていて、まるで行基が空を飛んでいるみたいに見えた。

公式サイトで宝物の写真も見たが、写真と実物は全然違う。
やっぱり本物は、情報量が違う。


以前、西大寺に来たときは外側を散策しただけだった。
でも今回は御堂、そして聚宝館まで見学できて、仏像や巻物の魅力に一気に目覚めた気がする。

【西大寺-色恋と信仰と、そして再評価】記事はこちら

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