ショッピングモール「ミ・ナーラ」の裏手。人通りのない駐車場の一角に、こっそりと長屋王が祀られている小さな祠がある。目立たない場所だけど、そこには妙に澄んだ空気が漂っている。
ここは、かつて長屋王の邸宅があった場所。しかもその敷地、道を挟んだ向かいの**「平城京左京三条二坊宮跡庭園」も、実は邸宅の一部**だったというのだから驚きだ。
いまやショッピングモールと史跡公園に分かれたこの地も、1300年前には一続きの王の屋敷だったわけで、なんだか時空の継ぎ目を踏んでいるような不思議な気分になる。

あの静かな祠に立って目を閉じてみると、家族と共に過ごす長屋王、走り回る子供たち、政務に励む家臣たちの姿が浮かんでくるようだ。
そして、やがては陰謀に巻き込まれ、命を絶たれた悲劇の王。
ああ…腹黒い奴ほど得をするのは、昔からの伝統ですな。ただ信じて従った者が、最後には「反逆の意志あり」とか濡れ衣着せられて──ほんと、歴史ってロクでもない。
でも、誰にも見えない場所でそっと祀られている長屋王を見ると、ちょっと救われたような気がするのです。
長屋王邸宅跡と、庭園に姿を変えた王の居所
奈良時代前期、政権の中枢にあった貴族・長屋王。その邸宅跡が、現在の奈良市二条大路南、ミ・ナーラ周辺一帯であることが発掘調査により明らかになりました。
その敷地はなんと約6万㎡。王の私邸としては異例の広さで、政務や生活の機能がブロックごとに区分けされ、居住空間は平城宮内裏正殿に匹敵する広さと構造をもっていたとされています。
この邸宅の一部が、現在「平城京左京三条二坊宮跡庭園」として整備されている区域です。そう──つまり、この庭園こそ、長屋王邸宅の庭だった場所。

発掘では約4万点の木簡が出土し、王家が畿内各地に私有地を持ち、そこから米や野菜などが日々運ばれていたことも判明しています。
庭園には、導水木樋やS字状に湾曲した池、石敷きの流れが再現されており、まるで川のように見えるその池は、当時の庭園文化の粋を感じさせます。池越しに若草山を眺めながら、詩を詠み、酒を酌み交わしたであろう貴族たち。ここで、栄華と静謐が共存していたのです。
しかし、邸宅の主・長屋王は、政敵・藤原氏の陰謀により、729年に自害へと追い込まれます。彼の死後、邸宅は接収され、やがて庭園に姿を変えていったのでしょう。平和の象徴のような池も、もとは悲劇のあとに生まれた「再利用」だったのかもしれません。
それでもこの庭園、入場無料で復元建物もあり、しかも中にはスリッパ完備。こぢんまりとした空間ながら、しっかり風流な造り。人も少なく、穴場です。
長屋王の邸宅跡と、その庭だった「平城京左京三条二坊宮跡庭園」。1300年の時を越えて、今は静かにその姿をとどめています。現地でしか感じられない空気を、ぜひ味わってください。

商業施設と史跡が隣り合うこの不思議な空間。かつての王の生活と、今を生きる私たちの生活が交差する場所です。タイムスリップ、してみませんか?
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