諸羽神社

諸羽神社

🍁 京都府の史跡

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京都府山科区にある諸羽神社は、地元(四ノ宮)の人たちからは「四ノ宮の氏神さま」として親しまれている。当時は今より広い境内だったと考えられている。その名残りなのか、鳥居の内側にも民家が建ち並び、かつての神域の広さを感じさせる。今現在の諸羽神社の敷地はとてもこじんまりとしている。

でも、とても明るく開放的な神社で、散歩をしたり参拝をしている人たちの姿を見かけた。地元の人にとても親しまれている反面、少し”行きすぎた親しみ方”をしてしまう人もいるらしく、手水舎には「ひしゃくを犬等の飲用には使わないでください。ひしゃくに入れた水を人が口にふくみます。」といった貼り紙があった。

さらに、「自転車などは押して歩いてください。でないと砂利が荒れてしまいます。」と書かれた貼り紙も目撃。砂利の上を自転車で走るのはちょっとしたテクニックが必要。自転車テクが上手い人がいる地域なのかな。

さて、諸羽神社の創建は、平安時代862年。伝承では天孫降臨の際に、その両脇を羽のように補佐した2柱の神様(天児屋根命・天太玉命) をお祀りしたことから両羽(りょうは)大明神と呼ばれたとされる。室町時代になると、さらに神様を合わせ祀り、なんと6柱になったので諸羽神社と改名。

応仁の乱から始まり3度も戦火や火災で社殿とほとんどの古記録が焼失している。社殿はその都度再建されたが、古記録は戻ってこない。現代の社殿は江戸時代後期19世紀中ごろに作られたもので、色付きの龍なども彫られていて、小さいけれども落ち着く素敵な神社だ。

境内の本殿向かって左奥には、琵琶石と呼ばれる大きな石が置いてある。伝承では、平安時代・仁明天皇の第四皇子で琵琶の名手だった人康親王が座って琵琶を弾いていた、と伝わる石だ。人康親王は、病気で失明し、この地に隠棲した。この地は琵琶法師の源流の一地として知られる。嘗ては多くの検校(盲官の最高位)たちが参拝に訪れた。

琵琶石のすぐ後には、神様が降り立つ場所とされる磐座(巨石)がある。神殿が建てられる前の古代の信仰・自然崇拝の形を今に残すパワースポットとして知られている。

さて、ここ諸羽神社には、伊勢物語の主人公・えっープレイボーイ在原業平さんですね、彼も訪れている。モテモテであらゆる年代や様々な身分の女性を次々にものにしてポイ捨てしてきた業平さんですが、ここ山科ではそのような破廉恥な事はしていない! なんと、在原業平は、人康親王に会いに来たのだ。ただそれだけの目的のために、そして女性には目もくれなかった、硬派な業平(笑) 人康親王と業平・二人は互いに知った仲だった。天皇になる可能性もあった高貴な身分だったが、政争に敗れ、目を患い、盲目となって山科に隠棲していた人康親王。

業平は、質素な山荘で寂しそうにしている人康親王を見て、「昔はあんなに輝いていたのに今はこんな質素な山小屋で目も見えずに、なんとまぁ‥‥」と心を痛める。業平、実は結構いい奴なんですね、盲目になり山荘で隠遁して暮らす人康親王を自分だけは忘れていない、と変わらぬ友情をはぐくみ共感する温かい優しさがある。目が見えない人康親王は、感じる昔と変わらぬ気配や声で業平を歓迎しもてなした。伊勢物語では、業平が雪の中を訪ね、盲目となった人康親王と酒を酌み交わし、歌を詠みあい、互いに涙を流した場面が語られている。なんかもう想像するだけで泣けてきますね。

帰路、業平はつぶやいた。「人康親王の苦悩に比べたら自分の悩みなんて大したことない」と。

そんな業平さんをかばっておくと、価値観は時代や場所によって変わる。当時は、恋愛上手である=情熱的で風流 として称賛されることだった。よって、わんさか女が群がってきてとっかえひっかえ出来る業平は当時きっての風流人だったのだ。そんな世間の称賛や評価も重なりさらに業平さんはモテモテになっていくという。とはいえ、「恋愛上手=風流」とされた当時の価値観は、どこか男性に都合が良過ぎる気もする(笑)

とにかく、人康親王と語り合い共に泣き、この地を去った業平であった。女遊びもせずに。人康親王にかかれば業平すらめっちゃ良い奴に印象が変わる人康マジックが超不思議。

Googleマップ:諸刃神社
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2023/12

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