幕末を動かしたもう1つの場所ー角屋

幕末を動かしたもう1つの場所ー角屋

🍁 京都府の史跡

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京都・島原に現存する唯一の揚屋建築角屋
重要文化財に指定され、春と秋の年2回のみ「角屋もてなしの文化美術館」として公開されている。

その入口に立つのが、
「新選組刀傷の角屋」
と刻まれた石碑。

なんやら、最初から不穏な空気が漂っている。

恐る恐る入ると、当時使われていた刀掛がドーン!客はここで皆、刀を預けて入店する仕組み。だが、例外がいた。それは新選組である。新選組は、決して、刀を預ける、ということをしなかったそうだ。さすが新選組だな、と新選組に「格好良い!」「イケてる!」イメージをもつ人(当時の私など)はホロッとくる場所でもある。

だが、そのイメージは秒で揺さぶられることになる。刀掛からほんの少し行くと‥‥

”新選組の刀傷”

と書かれた説明書きと、くっきり刻み込まれた刀の跡が柱に残っている。はっ!?新選組、一体なにしてた????? 頭が疑問符でいっぱいになる。が、長年脳内妄想で勝手に育んできた新選組へのイメージはこんなので壊されたりはしない。きっとなにかあったはず、新選組を信じて進む。

館内は、展示史料と2階が撮影禁止だった。興味深かったのが、高級食材を使った献立表。それぞれの客の記録帳(使用した部屋・掛軸・食器・花etc)。記録帳は次回来た時に前回とかぶらないように趣向を凝らす為につくった詳細記録。さすが、島原隋一の揚屋である。

角屋はツケ払いのお店で、月末に一斉請求し回収するシステム。

ここでまたとんでもないものを目にしてしまった‥‥。

”新選組の掛け売り禁止”

と書かれた、新選組にだけはツケ払い禁止にする、という触書がガラスケースに大切に納められ展示されていたのだ。角屋ガイドさん曰く、「新選組だけはいくら催促してもお金を一向に払わなかった」と‥…。

さすがにここまでくると新選組への幻想にもほころびが出始めてしまう。なんだ、こいつら、新選組!?と‥‥。

さて、少し新選組から離れ現実逃避しよう。角屋の展示物で謎過ぎだったのが、

”西郷隆盛が使った『たらい』”

風呂なのか、洗面なのか、それとも宴席用なのか。
いずれにしても、これほどの大きさが必要になるほどの宴が、ここ角屋で開かれていたことだけは確かだろう。

まぁとにかく、大きな宴会場は、当時ここ角屋にしかなく、また、角屋が一番格式が高かったため、西郷隆盛も豪商の接待などの際に何度も角屋を使ったそうだ。西郷どんもこの廊下、歩いたのか♪っとちょっと感動。

あと面白かったのが、”京都大阪で行きたいお店ランキング”なんていう昔のガイドブックが展示されていたこと。痛々しかったのが、幕末、経済的困窮状態だった二条家が生活の足しに和歌の免状をだしていて、その免状が展示されてあった。

客間の襖は真っ黒だった。京都の手作りろうそくは灯が綺麗なのが特徴だが煤が出る。それで壁も襖も障子も真っ黒になった。しかし、襖だけ当時のを残し後は綺麗に改装されていた。全部そのままのほうが味が出て良かったのに、人間は時に余計な事をする。

アホな部屋もあった。笑 天井が網代組。重みに耐えられるつくりではなく、いつ天井が抜けるか不明。そのため2階には人数制限があったそうだ。今となってはこの網代の間の上の部屋は入室禁止!である。

さて、角屋は、”客に目出度いものを見せる”というのを大事にしていた。確かに入口にも、中国で立身出世を意味する槐の樹が2本植えられていたし、中庭には岩で富士山を演出し、観賞用の織部焼の丸形滑車の井戸などもあった。しかも中庭の景色が最大限よく見られるよう、廊下角の柱を外したつくりにしている。

当時は、昼間、庭を眺めながら和歌や俳句を詠み、その後、茶室にてお茶を飲み、最後は宴会♪というのが風流人の遊び方だった。直筆本物の史料が展示されてあった与謝蕪村や松尾芭蕉だとか御公家さんなども沢山遊びに来て賑わっていた。明治維新後に衰退し、芸妓もみなやめ廃業となった。

さらに進むと、角屋で一番広い部屋42畳の松の間である。部屋の右側は当時のままの建物で重要文化財。左側は昭和初めの火災で燃え復元したもの。思わず笑ってしまったのが、部屋の端につけられた渡り廊下みたいな形のどこにもつながらない短い橋。宴会でお酒を飲み過ぎた人が酔い覚ましの為に涼みに来るための場所で、酔いが少し冷めるとまた酒をくらうという設計。まぁお店側としては賢い造りだな。

さて、この松の間は、新選組・芹沢鴨が生涯最後にみた景色の場だ。品行不良で会津藩から暗殺命令が出ていた芹沢鴨に対し、新選組は1863年9月18日、角屋で宴会を開き芹沢を泥酔させ、駕籠に乗せて屯所八木家に帰りそこで暗殺した。芹沢鴨が最後に座っていた場所ー掛軸の前あたりーに座り景色を眺めながら思った。催促が来ても金を一向に払わないお前らも品行不良なんじゃね? 人の店に刀傷つけんなよ! それも全部、芹沢一人の仕業なのか!?どうなんだよっ!と。

さて、2階の見学は別料金。網代の間の真上にある入室禁止の緞子の間は、金襴緞子の部屋で装飾から調度品にいたるまで目出度い物だけの部屋。床の間の欅の一枚板には亀甲六角形が細かく彫り込まれ、障子は格式が高く縁起の良い吉祥文様・立涌文様。

各部屋の釘隠しは、七宝焼きだったり源氏香の図だったりと趣向が凝らしてある。 部屋一体に簾の絵が描かれている御簾の間なんてのもあった。原画は240年前に描かれたものだが煤で真っ黒。昭和46年に塗り替え模写した絵で、黒一色になる前の御簾の間の様子がわかる。

欄間、火鉢、御膳、襖の引手、燭台も全部扇形、天井には扇型の和紙が一面に貼られている扇尽くしの間。天井に貼られた扇型の和紙は客の公家が書いた和歌。襖を外し4つの間を続けると70畳になり大宴会が開ける。なんと、浄瑠璃の舞台まであった。

角屋で一番気に入った部屋が青貝の間。キラキラキラキラ部屋全体が螺鈿で光っている。角屋で一番お金がかかっている部屋なのだとか。ただ残念なことに、青貝の間にも、新選組が刀で傷つけた跡が柱にがっつり残っていた。

角屋にくると新選組に抱いていた幻想がひっくり返る。金は払わないわ、柱に刀傷つけまくるわ、暗殺舞台に使うわ、新選組イメージダウンが加速する。

新選組は「秩序の守護者」と「ならず者集団」という二つの顔を同時に持っていた。その両方が、ここ角屋には残っている

Googleマップ:角屋

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