🍁 京都府の史跡
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島原:エッセイ編 —「格子の向こうに聞こえる声」
京都市下京区の正式地名「西新屋敷」。
京都の人にこれを言っても、まず通じない。
けれど「島原」と言えば、一瞬で場の空気が変わる。
——京都で唯一の幕府公認の花街。
この一言がすべてを説明してしまう。
住宅街を歩いていると、突然「島原歌舞練場」の石碑が現れる。
かつて芸娼妓のために刺繍や裁縫を教えた“島原女紅場”。
仕事を失っても生きていけるように——
そんな願いが込められた教育の場だった。
この街は、華やかさと生活の匂いがいつも背中合わせだ。

次に出会うのが輪違屋。
説明板には「襖や壁の意匠には目を見張るものがある」とだけ書かれているが、
その奥に広がる世界は、言葉ではまったく追いつかない。
江戸期創業の置屋で、太夫や芸妓の揺籃の地。
門にはきっぱりと「観覧謝絶」。
“見せない文化”の強さが、逆に想像を掻き立てる。

少し歩けば島原大門。
本当はここが“追い出された者たちの新天地”だった。
御所の近くで営業していた花街は、格式の高い屋敷が並ぶ地区にそぐわないとして移転させられた。
賑わいすぎて再移転。
そして辿り着いたのが、ここ。
歴史の荒波に押し流された人たちの街、それが島原だ。
さらに奥へ進むと、角屋。
長州藩士・久坂玄瑞の密議の場として知られるが、
本質は“文化サロンとしての宴会場”。
太夫や芸妓を呼び、酒を酌み、和歌を詠み、漢詩を語り、茶を点てる。
文化と雑多が同じ食卓に座っていた場所。
ここで、花街と遊郭の違いを案内の人に延々と語られた。
(聞いてもいないのに)

要点だけまとめればこうだ:
花街:芸と教養の世界。
遊郭:性的サービスの世界。
たしかに違う。
でも私から見れば——どちらも“産業としての女性搾取”という根は同じ。
親に売られ、身体や才覚を評価され、商品として働かされた。
形が違うだけで、苦しみはどちらにもあった。
そしてふと思った。
もし未来の人間がこの街の歴史を振り返ったら、
ペットショップもブリーダーも——
かつて人間が「生き物を商品にしていた時代」として
島原と同じ棚に並ぶのではないか、と。
「昔は動物が売買されていたんだよ」
「売れ残りは実験動物に流されたんだよ」
そんな“文明史の展示パネル”として。
人間の文化は、いつでも
誰かの悲しみの上に成り立っている——
そう感じさせる街だ。

島原を歩くと、
華やかさと影、笑い声とため息、文化と生存——
その全部が同じ路地を流れていた時代の気配がまだ残っている。
この街は、
「綺麗な歴史」だけでは決して語れない。
でも、だからこそ人が生きていた温度がある。
人の営みは、いつの時代も明るさと痛みの両方でできている。
島原は、それをそのまま残してくれている街だ。
島原:歴史編 —「花街と遊宴の実像」
■ 島原の位置づけ
・六花街の一つ(現在は五花街)
・京都で唯一の幕府公認花街
・1641年、六条三筋町から現在の地へ“二度目の移転”
・理由は「御所周辺にふさわしくない」+「六条三筋町が過密化」
■ 島原女紅場(島原歌舞練場)
明治6年(1873)設立。
芸娼妓に裁縫・刺繍などの生活技能を教えた公的教育機関。
■ 輪違屋
・江戸期創業
・太夫・芸妓を抱えた置屋
・現存する唯一の太夫文化の屋敷
・内部意匠は国重要文化財級(一般非公開)
■ 島原大門
島原の象徴。
“公的に追いやられた花街の門”として歴史的価値が高い。
■ 角屋(揚屋)
・揚屋=宴会場・文化サロン
・太夫・芸妓を置屋から呼んで遊宴
・和歌、漢詩、茶道、香道などの文化交流の中心
・現存する唯一の揚屋建築(国指定重要文化財)
・久坂玄瑞ら尊攘派志士の密議の場としても知られる

■ 花街と遊郭の違い(史実に基づく正確版)
◎ 花街
・芸を売る場所(舞踊・音曲・教養)
・太夫=教養と芸を極めた最高位の遊芸女性
・芸妓は舞台で踊る
・教養中心の“遊宴文化”
◎ 遊郭(吉原など)
・性的サービスが主
・花魁=最高位の遊女
・堀・土塀に囲まれた閉鎖空間
・文化的役割は限定的
最後に、島原周辺の主要スポットをまとめた地図を添えておく。
散策の順番は自由だけれど、
大門 → 輪違屋(外観) → 角屋 → 女紅場跡
の順で歩くと、街の成り立ちと構造が自然と体に入ってくる。
迷路みたいに入り組んだ路地もあるので、
地図を片手に気ままに歩くのがおすすめ。
古い街の空気を感じながら、ゆっくりと巡ってほしい。

京都府 島原 写真一覧





2021/11






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