和歌山城|天守と石垣、時を超える城の記憶

和歌山城|天守と石垣、時を超える城の記憶

和歌山県の史跡

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⛩️ 石が語り、風が伝える。
豊臣・徳川、二つの時代を生き抜いた城。

虎伏山(とらふすやま)の頂にそびえる和歌山城。
市街を見下ろすその姿は、長い時を超えて今も威厳を保っている。
石垣の刻印、連立式の天守、そして市民が再建した歴史——
ここには「守る」という言葉の重みが刻まれている。

👉 和歌山城西の丸にある名勝庭園はこちら
名勝 西の丸庭園(紅葉渓庭園)|紅に染まる静寂の庭

【石垣に刻まれた時間】

和歌山城の石垣は、城の進化をそのまま表している。
築城当初は自然石を積んだ野面積み(のづらづみ)。
その後、打ち込みハギ、切り込みハギと加工精度が上がり、時代ごとの技術が石の表情に残る。
職人の刻印を見つけると、まるで400年前の息遣いが聞こえるようだ。

石垣に圧倒魅了された

【内部展示の魅力】

城内は紀州徳川家の品々が並ぶ博物館。
折り畳み式の鎧、弓術書、陣笠、弁当箱、火縄銃……。
そして極めつけは「郵便脚夫短銃携行規則」。
明治の郵便配達員がスミス&ウェッソンを携帯していたという、まさかの展示。
命懸けの郵便制度を前に、思わず「ご苦労さまです」と呟いてしまった。

ほかにも源氏物語屏風、鳥類図鑑、瓦や書簡など、資料の幅が広く、
まさに“時のアーカイブ”といえる。
最上階の外回廊に出ると、スノコの床がミシミシと鳴り、眼下に和歌山の街並みが広がる。
ここで風を受けながら、城がいまも「町の心臓部」であることを実感した。

天守閣からの眺めは絶景!

【西の丸・御橋廊下】

徳川頼宣が隠居した西の丸には、能舞台や茶室が設けられていた。
その一角をつなぐのが「御橋廊下」。
かつては藩主とごく限られた家臣しか通れなかったが、今は無料で通行可能。
2006年に江戸時代の図面をもとに復元された廊下で、
屋根付き・小窓付き・鋸歯状の床板という念の入った構造。
……ただし、歩くと足の裏にちょっと響く。
昔の殿様も「痛っ」とか言ってたのでは?と想像すると妙に親しみがわく。

御橋廊下を渡ると二の丸跡。かつて政庁と大奥があった場所だが、今は広い空き地になっている。
それでも、往時の城域のわずか4分の1しか現存していないことを思えば、
今ここに残るだけでも奇跡のようだ。


【和歌山城の歴史】

1585年、豊臣秀吉が紀州平定の際に弟・豊臣秀長へ築城を命じたのが始まり。
築城奉行は藤堂高虎。石垣の妙技はこの時からすでに見られる。
関ヶ原以後は浅野家、そして1619年に徳川頼宣が入城。
以後、紀州徳川家が約250年この地を治めた。
御三家のひとつとして幕府を支え、八代将軍・吉宗、十四代・家茂を輩出している。

天守は大天守・小天守・櫓を多門櫓でつなぐ「連立式天守」。
姫路城・松山城と並ぶ日本三大連立式のひとつであり、防御と美を両立する構造だ。
昭和20年の大空襲で焼失したが、市民の寄付により1958年に鉄筋コンクリートで再建された。
今も和歌山市の象徴としてそびえ立つ。

📍 和歌山城・西の丸庭園(紅葉渓庭園)へのアクセス
JR和歌山駅から徒歩約20分。
和歌山バス利用の場合は「公園前」下車すぐ。
城郭内には西の丸庭園・御橋廊下・岡口門など見どころ多数。

Googleマップ:和歌山城

天守の白壁に映る影、石垣の刻印、池に落ちる紅葉——
どれもが、かつてここで生きた人々の記憶のかけら。
和歌山城はただの史跡ではなく、「時そのものが形を保っている場所」なのだ。

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和歌山城 写真一覧

2019/02

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