トイレに行った石の行方 〜木津川市の残念石〜

トイレに行った石の行方 〜木津川市の残念石〜

残念石って、ご存知ですか?
――名前からしてすでにツッコミ待ちなんですが、これ、れっきとした歴史遺産。
木津川市には、そんな名を背負った石が川原にゴロゴロと残されています。

この石、なぜ「残念」なのかというと、話は徳川家康と大阪城にさかのぼります。

豊臣家を潰したあと、家康は大阪城の堀を壊しまくり、「これからは俺の城や!」と大改修に着手。その石材調達の大役を任されたのが、我らが藤堂高虎。彼は、大野山(木津川市)から数千個もの巨石を切り出し、川を下って大阪まで運んだのです。

が――その中には、せっかく用意されたのに、
なぜか大阪城に使われず置き去りにされた石が存在します。

そう、それが「残念石」なのです。

残念石

理由には諸説あれど、「修繕用にキープしてた説」なんてのもあるらしい。
……が、見てください、現地の様子。草ボーボーの川原に、ドーンと放置
どう見ても大切に取っておいた感ゼロ。むしろ「忘れてたんちゃうん?」レベル。

そして最近、この残念石、2025年の大阪万博の“トイレ”に使われることになり、大阪へ連行されました。いや、石とはいえ、まさかのトイレ配属。石の気持ち、想像したくない。

万博後には木津川市に返還予定だそうですが、地元民の反応は冷ややか。
「トイレに使われた石なんて、もう返さなくていいよ……」と苦笑する声も。
うん、その気持ち、ちょっとわかる。

ちなみに現地では、いくつかの残念石に刻印が入っており、
当時の石工や藩の記録が今なお刻まれています。

ただし、残念石を探しに行くには、ちょっとした覚悟が必要。
なにせ、どこからが川でどこからが道かも分からない草の迷宮
「ここ……たぶん、それっぽい場所やなぁ」と納得したところで引き返す人がほとんどでしょう。

残念石

選ばれず、忘れられ、流されず、そしてまさかのトイレ行き。
それでもなお刻印を誇らしく残す、藤堂高虎の石たち。
そんな残念石こそ、実は**時代の裏側を物語る“リアルな歴史の生き証人”**なのかもしれません。

それにしても、あの石――
次こそ、もっと良い場所に使ってあげてほしいものです。
便器の下じゃなくて、せめて……ベンチの下くらいには。


見に行っても『……で?』となる確率80%。でもなぜか人を惹きつけてしまう、それが“残念石”。そんな石に興味を持ってしまった物好きなあなたへ──地図、そっと置いておきます。

Googleマップ-残念石-

行っても何も起きません。でも行かなきゃ一生気になります。人生とは、そういうものです。

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