二天一流・剣豪の地~宮本武蔵駅

二天一流・剣豪の地~宮本武蔵駅

🍑岡山県の史跡

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智頭急行の電車はとても可愛らしい外見。ワンマン列車で車両は1つ。そして電車内も外側と同じくオシャレ♪
今までみたことないような座席。お城の中の殿様がイメージされちゃうようななかなか豪華でオシャレなつくり。
これは、この電車を見る目的での観光客もいそうな気がした出来。

さて、このオシャレ電車に50分程ゆられて辿り着いた先は、「宮本武蔵駅」人名がそのまま駅名になっている。
なにしろここは、あの伝説の剣豪・宮本武蔵が誕生した地であり、武蔵は幼少期をここで過ごした。

駅にはガッツリ宮本武蔵の肖像壁画が飾られている。

武蔵が晩年籠って五輪の書を書上げた熊本の霊厳洞には、以前念願かなって行くことが出来た。
この洞窟のこの岩に座って年老いた武蔵が書を書き留めていたのか…と心が震えたのを覚えている。

そして、今回は、武蔵の生誕地を訪れることができた。

駅前には、武蔵、又八、お通の3人のやんちゃな姿の銅像がたっている。この二人のお友達は吉川英治氏の想像上の人物という事だが、子ども時代の武蔵の走り回っている姿が浮かぶような銅像だ。吉川英治の小説『宮本武蔵』では… 大人になったお通が武蔵のストーカーになってつけ回し、こっぴどく最後までフラれ続けていたが、小説上だけでなく、現に武蔵に思いを寄せた女性は、どうしても叶う事のない恋に、皆ことごとく気がふれたりして不幸な結末になったという‥‥。罪な男だ(笑)

さて、駅から徒歩数分もすると、辺り一帯から白鳳期(645-710年)の特色をもつ古代瓦が出土した古代寺院・長大寺(遺跡名:今岡廃寺)跡がある。その山の斜面には、石板で『あばれたけぞう』なる石版がてんてんと一定間隔ずつずっと続いてならんでいる。

宮本武蔵の子どもの頃の物語が少しずつ描かれ展開されいるものだ。暴れん坊でてがつけられなかった武蔵は、少年時代ここにあった長大寺に預けられていたという。

その先には、幼少だった武蔵が近所の同年代の子どもたちと遊びまわったという讃甘神社がある。小さな川を挟んだ向かい側には武蔵の生誕地である生家がある。武蔵は讃甘神社の神主が打つ太鼓の姿からヒントを得て、二刀流を編み出した──と伝えられている。

実は武蔵生誕地説というのも複数あるようだ。その1つが、武蔵はここ、美作で生まれ16歳までこの地で暮らしたという説。そして、ここが宮本武蔵の生家とされているところ。なかなか立派で今でも普通に住めそうな状態で保存されているが、当時は約60メートル四方の敷地で茅葺屋根の大きな家だったという。昭和17年に火災に遭い、建て替えられたものだそうだ。この家の矜持は、大黒柱の位置だけが、武蔵が生まれた時のままだということ。家の入口手前左側には、「宮本武蔵誕生記念碑」がたてられてある。

そして宮本武蔵生家跡の左位置に大きな鳥居が道をまたぐようにたっていて、そこをくぐり緩やかな狭い坂道を人家を見ながらのぼると、数分も経たないうちに、右手に武蔵神社と武蔵の親族の御墓がある。武蔵神社の創建は1971年。まだ数十年という比較的新しい神社だ。敷地内には、佐々木小次郎の供養塔も建てられてあった。

とても静かな地で、見かけたのは地元住民とおぼしき1人か2人ていどだけだった。趣向をこらした武蔵グッズ自販機とか置いたら売れそうなのに儲ける気がないのか惜しいなって思った。

もう1つの宮本武蔵生誕地説~本当はどこで生まれた?~

もう1つの宮本武蔵生誕地説だが、兵庫県播磨国太子町宮本村で武蔵が生まれたという説である。なにしろ武蔵本人が記した五輪書に「生国播磨」と記してあるうえに、1762年(宝暦12年)の地誌「播磨鑑」にも宮本武蔵が太子町宮本村で生まれたと記されてある。宝暦年間に村の大半が罹災した大火災で、武蔵に関する史料、古文書、系図等のほとんどが灰となり、更に明治20年の大火災で全ての史料や古文書なども焼失した、と伝わる。武蔵生家跡とされる場所には、武蔵誕生の際の産湯に使われたという井戸が残っているそうだ。

生家が2つあるというのは奇妙な話である(笑)

宮本武蔵の父・平田無二之介(無二斎)は、ここ美作地区や近隣にも名を知られた武芸の達人だった。武蔵の祖父・平田将監も優れた剣術使い。これはもう”血”ですね!

十手流(当理流)を使いこなす武蔵の父・無二斎は、若い頃旅に出、剣の達人と闘い連戦連勝。足利将軍家・兵法指南役の吉岡家の剣士を破った。故郷に戻り無二斎は結婚するが、子どもが生まれると妻(武蔵の母親)は病死。新しく嫁いだ妻よし子は、武蔵3歳の時に実家に帰ってしまった。

武蔵が8歳になると、父親はまたも放浪の旅へ。どうやら家庭より剣の道を選んだようだ。 武蔵は、播州平福(兵庫県佐用郡佐用町)のよし子の家で育てられたという。無二斎は、黒田長政(黒田如水の息子)に世話になり道場を建ててもらったりしていたそうだが、父親としてはぶっ飛び過ぎだと思う。悪ガキになって寺に預けられるのもなるべくしてなったとしか思えない(笑)

剣豪・宮本武蔵の思い出の地をたどる旅
あんな暴れん坊がいたなんて信じられないほど静かな町でした。
でもその静けさが剣を究める静寂な境地の旅へ武蔵を導いたようにも感じました。

Googleマップ:宮本武蔵駅とその周辺
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宮本武蔵駅と近辺散策 写真一覧

2021/11

おまけ 熊本県熊本市西区にある霊巌洞・五百羅漢(雲巌禅寺)

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