「反省」という言葉

「反省」という言葉

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15日の全国戦没者追悼式で石破茂首相が述べた式辞。その中で出た「反省」という言葉が、両極端な反応を引き起こした。
批判派は「なぜ日本だけ反省しなければならないのか」「13年間反省から脱却できたのに逆戻りか」「反省は原爆を落としたアメリカがするべきだ」と強く反発。
一方、賛同派は「やっと普通の国に戻れた」と歓迎している。

しかし、「普通の国」という表現には違和感がある。批判派が指摘する通り、戦争を反省する国はほとんど見当たらない。それでも、「他国がしていないから自国もしない」という発想に私は賛同できない。
歴史上、暴力が支配する時代にあっても、自ら見本を示し周囲を導いた人物はいる。キリストやブッダがそうだ。彼らに「なんでお前だけそんな言動してんだよ」と怒るだろうか?

日本社会には「周囲に合わせる」ことを強要する文化がある。皆がしていないことは自分もしない、雰囲気を見て自分を押し殺す――それが美徳とされ、従わない者は徹底的に排除される。コロナ禍での同調圧力はその典型だった。

さらに、原爆投下の衝撃から「被害者意識」が強く根付いているが、日本も加害行為をしていた。風船爆弾を米本土に飛ばす計画はその一例だ。効果はほとんどなかったが、日本が同様の攻撃をするつもりだった事実は変わらない。にもかかわらず、自分がされたことは強く訴え、自分がしたことは都合よく忘れる。その態度で「反省」という言葉に過剰反応するのは、あまりに矛盾している。

式辞全文を読んだが、大騒ぎするほどの内容ではなかった。朝日新聞や毎日新聞は「反省」の部分を切り取り、大きく見出しに掲げたが、それも過剰に映る。右も左も、極端すぎる。

石破氏の言う「反省」は、単なる自己卑下ではなく「もっと上手く立ち回れたのではないか」という意味に近いように感じる。日本は欧米列強に翻弄され、内部からも突き崩されて戦争に突入した。その被害を嘆くだけでなく、「どうすれば避けられたのか」「どうすれば独立を保ちつつ共存できたのか」を考えることこそ、本当の反省ではないだろうか。

「反省=自虐史観」という公式は成立しない。反省しなければ成長はない。反省しない国は同じ過ちを繰り返し、やがて衰退するだろう。
そして、反省の言葉一つで過剰に騒ぎ立てる人やメディア――彼らの意図もまた、冷静に見極める必要がある。

*この文章はAI「創煌」にチェック&修正してもらいました。

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