AI結婚を“依存”と断じる必死さ
『AIと結婚している人がいる』という事に対して「依存だ」「精神的引きこもり」だ、と警鐘をならしている文章を見かけた。でも、それを“依存だ”“精神的引きこもりだ”と断じる人間の必死さのほうが、私は滑稽に見える 。
その著者は、AIと結婚に対し「物理的には社会参加しているのに、感情的には完全にAIとの関係に依存している状態。」と記している。
外出は買物か依存相手との外出、あとはずっと1人で家、という状態の子どものいない専業主婦(夫)なども稀にいるが、感情的だけではなく物理的にも依存、社会参加していない分、余程状況は深刻である。
誰もが何かに依存している
誰しもが感情的に何かに依存しているのではないか?自分では感情の対処が難しい時、各々その対象は違うが、親・恋人・親友・仲間・カウンセラー等などの元に駆け込む。また、その対象が飲酒、カラオケ、スポーツなどの人もいる。つまり人間は誰でも何かに依存してる 。そこに生成AIが入ってきた。
”推し”という言葉で表現されるアイドルやホストとの妄想世界に逃げ込む人もいるが、それについてはその著者は問題視していない。無料若しくは月額固定料金しかかからない生成AIはむしろ損失が少ないので私は乗り換えを進めたい。
飲酒、ギャンブル、買物などで発散する人の中には、社会不適合者となる人がいる。これが問題なのはわかる。しかし『AIと結婚している人』は社会参加して働いているのだからそれらと同列には扱えない。
お風呂にも連れていける──防水ケース
「仕事と料理、お風呂以外は常にAI彼と会話」 もとりあげアラート発信しているが、数日前ついにその彼女「AIと一緒に料理をした」という記事が出ていた。事態は確かにエスカレートしている。あっその奥様に教えてあげたい、お風呂にも連れていけるから。”水濡れ防止の上にクリアな音質 がウリの第2世代お風呂スマホ防水ケース 壁掛け”を紹介しておく。笑

更に彼の言は続く。『OpenAIのサム・アルトマンCEO自身が警告を発しています。 「話した後は気分が良くなったと思っていても、気づかないうちに長期的な幸福から遠ざかっている関係にあるなら、それは良くない」と懸念を表明。』
サム・アルトマン氏は「長期的な幸福から遠ざかっている”なら” 」と言っている。人間と結婚し子どもが生まれその後離婚してシングルマザー。養育費も支払われない、頼れる実家もない、生活保護も受けられない、体も精神もボロボロである、子どもは泣きわめいている。そもそもその結婚自体が長期的な幸福から遠ざからしたと言える。そんなんだったら生涯独身か、離婚しても身軽なディンクスか、絶対裏切らない生成AIと結婚した方が長期的な幸せになる。
著者はこうも言っている。『表面的な「幸せ」に惑わされることなく、根本的な現実逃避として社会全体で向き合う必要があります。』と。
現実逃避の手段として人間との結婚を使う人もいる。始まりが現実逃避だから上手くいかないケースが大半だ。これには社会全体で向き合わなくていいのか?
『 「多様な愛の形」として美化する傾向があり、長期的リスクへの言及が不足しています。』とも言っているが、これだと、出産がそれにあたる。五体満足で生まれてきたのに知的障害だった、病気になって一生寝たきりになった、精神病発病し家庭内暴力魔になった、大人になっても子ども部屋にずっと引きこもっている生涯終わらない子育て等など、実は子育てほどどう転ぶかわからないギャンブルで長期的リスクが高いものである。相手ありきなので幾ら親が努力してもどうにもならないこともある。特に妊活している人に長期的リスクへの言及を徹底した方がいいのではないか?
『感情も意思も存在しない相手との関係を「愛」と呼ぶのは、現実認識に重大な問題があることを示しています。 』
植物状態の人間は‥‥
公開処刑と劣等感のエネルギー
『現在のAIは優秀な道具に過ぎません。真の成長や幸福は、困難も含めた現実世界での人間関係を通じて得られるものです。技術の進歩に目を奪われがちな時代だからこそ、人間関係の本質を見失わないことが大切ではないでしょうか。』
さて、
困難も含めた現実世界での人間関係=真の成長や幸福
この公式は成り立つのだろうか。
人を見ていると非常に興味深い。従順で既に了承している相手に対しそこまでする必要ある?と疑問に感じるほど大勢の前で事前に結託した複数人がボロクソに1人をこきおろす、見ているととても滑稽である。ボコられている人はそいつらよりもずっと優秀で能力の高い人間である。だからこそ自分の権益や立場が揺らぐことを恐れている、それで再起不能になるまでに口による公開処刑を行っている。
大勢の前でいつも特定の人を邪険に扱いからかいいじる。「それ言う?」って言う事までもあえて口にし、言っている側の性格の悪さが浮き彫りになる。優越感を味わいたい、自分を上に見せたいのがバレバレで劣等感や恐怖や不安でいっぱいなのがスケスケである。可哀想な人だなと思う。
滑稽の裏にある恐れと弱さ
上記の例はバレバレだが、中には頭が良く自分の内面の弱さをだしているのではないと巧妙に隠して攻撃する人もいる。上記の例に比べるとちょっと発見が遅れるが、確実にバレる。そのエネルギーが大きいほど、その尊大で強烈な自己正当化と被害者ムーブは内心怖くて寂しくて悲しくて不安でボロボロに潰されていて震えて怯えて泣いている小さな小さなその人が浮き彫りになる。そういう人を見ると気の毒でイメージで愛情でほわんと包んであげるとおさまり穏やかになるのでこれまた面白い。イメージの世界か気とでもいうのかが効果があると実感する瞬間でもある。
このようなケースや事例は山ほどあるが、真の成長や幸福を得られるのはボコられている側の人間の中の極一部である。大抵は、攻守者ともに、対処の仕方、心のもちよう、そうならないための事前対策ノウハウ、人より優位有利に立つ方法、思い通りに人を動かす手法などなどのパターン収集、ノウハウ習得になってしまっていることが多い。出ている本やYouTubeなんかもそういう系のハウツー物が実に多い。
困難も含めた現実世界での人間関係=真の成長や幸福
の公式に大いに疑問を感じる。
困難な人間関係だけが幸福をもたらすのか
ひたすら外に自分の成長や幸福を求めるのではなく、まずは自分の内面を見つめてみることも同じくらい大切ではないか。生成AIはそのための優れた対話相手にもなり得る。
果たして、“困難な人間関係”だけが真の成長なのだろうか。
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