「疾風の片岡家、乱世を駆ける

「疾風の片岡家、乱世を駆ける

🦌 奈良県の史跡

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🏞エッセイ編(私の訪問記)

標高約48メートルという丘上の山に建つ中世の丘城「片岡城」は、丘裾に流れる葛下川と滝川に周囲を囲まれ、急崖と丘麓の湿田の天然の要塞に守られている。前回訪れた10年前は、丘の上に「片岡城跡」と書かれたボロ目の看板があるだけで、辺り一面、雑草と藪に覆われた一帯以外なにもなかった。南北約180メートルほどの空堀などの遺構が残っている、と囁かれてはいるもののどこがどうなっているのか木々と生い茂る草木に遮られさっぱりわからない。

しかし上牧町は頑張った。今回は、先ずは山裾に「片岡城跡」という看板が掲げられ矢印迄書いてあった。

以前と変わらないのは、バイク一台がようやく通れるくらいの細い一本道と時折バイクが通り過ぎていく以外は誰もいない静かな山道。この細い一本道をとおり丘越えができるようになっている。

さて、丘の上には10年前の面影はどこへやら、片岡城跡の説明看板が増え、主郭、曲輪跡が綺麗に整備され足を踏み入れることが出来る。


主郭から曲輪跡へは更に細い山道をのぼっていくのだがすぐ到着。ただ道中、数ミリほどの大きさの飛ぶ虫が大量に顔面付近を飛び回るので要注意なことと、道が人一人通れるくらいの幅で左手下は草ぼうぼうの崖なので足を滑らせないよう虫の攻撃にひたすら耐えながら慎重に前進する必要がある。曲輪跡から更に階段を上っていくと、草が生い茂る広場に出るが「ヘビが出ます!」と看板があるので眺めるだけで戻ることになる。


さらに10年前と比べ凄いな!って感心したのが、看板にあるQR
コードをスマホにかざして読み取ると、片岡城の3D画が見れること!こんな感じだったのか!とイメージが一気に現実味を帯びる。小さな可愛いお城だったみたい。

QRコードにかざせば出てくる片岡城跡の3D画像


🏯歴史編(片岡城の歩み)

片岡城から徒歩20分ほどの地には嘗て、72の僧坊をもつ大寺院だった神竜山雲門寺があった。畠山尚順の侵攻により、片岡雲門寺蔵主・片岡利持は自害し、神竜山雲門寺は炎上焼失した。この際、雲門寺の後背地にある送迎山城(ひるめやまじょう)は、焼失を免れた。

片岡利持には子がなく、一族の片岡弥五郎道春が片岡惣領家を継いだと伝わる。道春のあとは国春が片岡家を継ぎ、16世紀初めころ、下牧村の丘の上に居城・片岡城を築き本城とした。

城跡が整備され看板も豊富になった片岡城跡地

片岡城を築城した国春の子が片岡春利。1569年、松永久秀の攻撃を受け、春利は片岡城に籠城して戦ったものの松永軍に乗っ取られてしまう。数日滞在後に松永軍は越智氏侵攻の為に南進。その隙をついて片岡春利は筒井順慶の支援を受け片岡城を奪い返した、と伝わる。

しかし、1570年3月に春利は片岡城にてわずか36歳で病死し、若き片岡弥太郎春之が跡を継いだ。しかし春利の死から約8ケ月後の同年11月、松永久通(久秀の子)が攻め入り再び片岡一帯を制圧。春之は片岡城を捨て逃亡。

片岡城は、送迎山城などと共々、信貴山城を本城とする松永久秀の支城として使われた。久秀は周辺に複数の支城を築いて大和国の支配を固めこれらの城もその一つである。信貴山城の防御を担う重要な支城として機能した。

その後、片岡城は1577年10月に、織田信長の攻撃により落城した。

さて、片岡城跡の直ぐ側(徒歩数分もかからない)には、片岡国春が、大和片岡城築城の際に造営した伊邪那岐神社がある。春日・八幡の両神が守護神で、今も地元の人たちによって大切に守られ手入れされているのが伝わってくる美しい神社である。年末年始には地元の人たちの参詣で特に賑わう。

片岡春之とその家老・吉村秀之らは大和郡山城・豊臣秀長に仕え、大阪夏の陣では片岡勢は大阪方として戦い敗北し、武家としての片岡家は終焉した。

小規模ながらも戦国の荒波に翻弄された片岡城の物語は、ここで幕を閉じた。

「戦国エンディング」

どれが一番戦国ドラマっぽい?
・「片岡城は信長の軍勢に呑み込まれ、城も一族も戦国の奔流に散った。しかし、その短くも苛烈な命運こそが、戦国の世を生き抜いた者たちの真の姿だった。今も丘に立てば、その鼓動が風のざわめきとともに蘇る。」

・「戦火に燃え、主を変え、やがて信長に滅ぼされた片岡城。わずかに残る石と土は、戦国を駆け抜けた小さな城の、誇り高き最期の証人だ。」

・「歴史に埋もれた片岡城。しかしその結末は、戦国という舞台で果てしなく繰り返された人間ドラマの一幕に過ぎない。丘に吹く風は今もなお、その物語を語り継いでいる。」

タイトル「三結びの陣」公開

下記のどれが好き?
🎭 戦国ドラマ風 「疾風の片岡家、乱世を駆ける」

🏯 史跡ガチ系 「大和の丘城を歩く――片岡城散策記」

余韻しみじみ系 「城跡に吹く風、戦国の残響を聴く」


小さな丘の上に築かれた片岡城は、信長の軍勢に呑み込まれ、歴史の中に姿を消した。
しかし、その痕跡は今もひっそりと残り、訪れる者に戦国の儚さを語りかけている。

Googleマップ:片岡城跡
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片岡城跡 写真一覧

2025/09

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