「日本最古の書物は『古事記』である」──そう信じている人にとって、『竹内文書』の存在は衝撃的かもしれません。神代文字で記されたこの書物は、現代の歴史観ではあり得ないことが、次から次へと語られます。にもかかわらず、なぜか惹かれてしまう。荒唐無稽でありながら、妙に“説得力”がある。『竹内文書』とは一体、何者なのか。
古史古伝の怪文書か、それとも消された真実か?
「神代文字なんて存在しない」と言われる一方、神社に残る奉納文や石碑にその痕跡は確かに存在します。伊勢神宮ですら例外ではありません。にもかかわらず、『竹内文書』は「偽書」と断じられてきました。
昭和初期には裁判沙汰になり、原本とされる資料300点以上が提出されましたが、戦中に「すべて焼失」とされ、返却もされないまま行方不明に──。
焼けたのか、焼かれたのか。
この文書が訴えたのは、日本という国家の根本が世界とつながっていた、という壮大な物語でした。
モーゼもキリストも釈迦も来日!?
『竹内文書』に書かれているのは、歴史の“裏側”を旅するような話の連続です。
- 天皇の祖先・スメラミコトが「天の浮舟」で世界中を巡っていた
- モーゼ、釈迦、キリスト、孔子、ムハンマド、伏羲、神農までもが日本の皇祖皇太神宮で学んだ
- キリストは青森で余生を送り、墓も存在する
モーゼは12年間日本に滞在し、帰国前に3人の子をもうけ、最終的に「天浮舟」でシナイ山へ。 釈迦は52歳のときに来日し、日本で学んだ知をもとに仏教を説いたとされます。
そしてイエス・キリストは18歳で日本に渡り、5年間にわたり神秘術や天文学、文学や祭政一致の原理までを学んだ上で布教の道へ。十字架刑を逃れた彼は、青森で118歳まで生きたというのです。
もしこれらが真実なら、世界の宗教と哲学の源流が日本にあったことになります。
世界の統治者から「一国の君」へ──神倭朝の誕生
第73代スメラミコトが開いた新たな王朝「神倭朝」。その初代が、記紀にも登場する神武天皇とされており、ここから天皇は「世界を治める存在」から「日本一国の統治者」へと役割が変化したと言います。
この転換は、壮大なグローバル統治の夢から、島国ニッポンの現実への収束を象徴する出来事でもありました。
皇室の神秘性と『竹内文書』の相克
『竹内文書』は、皇室を「世界の中心」として描いています。しかし現実の皇族が学校に通い、テレビに出て、身近な存在になっている現代と、そのイメージの乖離は激しい。もしこの書物が正史になっていたら、皇室のあり方そのものが変わっていたかもしれません。
明治政府が『古事記』『日本書紀』を“正史”とした背景には、国家神道の統制と統一があります。『竹内文書』は、あまりにスケールが大きく、かつ危険すぎたのかもしれません。
謎の御神宝と、消された歴史
竹内家に代々伝わる御神宝には、以下のような信じがたい宝物が記されています:
- モーゼが刻んだとされる「十戎石」(表・裏・真)=アジチ文字が刻まれている
- イエス・キリストが自ら刻んだとされる版木(イスキリ文字)
- イエスの遺言書
- イエスの肖像画
- 天浮舟の模型
- ピラミッドの御神体石
- モーゼの御神骨石
これらは現在も皇祖皇太神宮にて厳重に保管されており、限られた奉賛会員だけが一部を拝観可能。年会費は5万円、退会不可──文字通り“封印された知”の世界です。
封印された理由と、残された謎
歴代天皇と竹内家の間には、密かな繋がりがありました。特に、武烈天皇の時代には、御神宝の公開を迫る仏教勢力から逃れるため、平群真鳥(のちの竹内宿禰)を極秘裏に神主として隠したとされます。
その後、御神宝は改ざん・焼却・封印を経て、今に至ります。歴史は、勝者が書き、敗者の記録は消される。では、竹内文書は?捏造か、幻か、あるいは、我々が見てこなかった“もう一つの日本史”か。この文書が語るのは、過去の物語だけではありません。「真実とは誰が決めるのか」 「歴史とは、何をもって“正しい”とするのか」という、今この瞬間にも通じる根源的な問いなのです。
歴史は、未来を決める鏡である。 『竹内文書』は、私たちにその鏡の裏側をそっと見せてくれるのかもしれません。
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