武烈天皇陵-極悪非道とされた男の墓を訪ねて-

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「武烈天皇って、本当にそんなにヤバかったの?」

武烈天皇といえば、“日本史上最悪の皇帝”みたいな扱いをされている人物です。
わたしがかつて読んだ資料では、「人を矛で刺して笑い、妊婦の腹を裂いて胎児を取り出し、女を馬と共に裸で…」といった、目を疑うような記述が並んでいました。
その異常ぶりは、もうサイコパスを通り越して、近代刑法もドン引きレベル

ところが、そんな「極悪天皇」の墓に実際に行ってみると、あまりの静けさと丁寧な整備ぶりに驚かされます。門は固く閉じられ、鳥居の奥は神域のように静まり返り、左手には宮内庁の出先機関まで──そう、「畝傍陵墓監区事務所」なるものが、わざわざ設置されているのです。田舎の一陵墓に人員を常駐させているなんて、他の天皇陵ではなかなか見かけません。

しかも聞くところによれば、「この陵だけは荒らされる可能性が高いから見張っている」んだとか。
……えっ、1500年前の人物の墓、そんなに怨まれてるの?!

一歩踏み込むと、そこには人の手によって“保護”された神聖な空間が広がっていて、
あの凶暴なイメージの武烈天皇と、この整然とした陵墓のギャップに、思わず立ち止まってしまいました。

「本当に“悪”だったのか? 歴史の裏にある脚色と政治」

武烈天皇(在位:499~506年)は、第25代天皇。『日本書紀』には“前代未聞の暴君”として描かれています。

・妊婦の腹を裂いて胎児を取り出す
・人に爪で芋を掘らせる
・裸の女性と馬を使った狂気の「性試験」

……もはや人間性どころの話ではありません。ですが、ここで疑問が浮かびます。

👀 なぜそこまで悪辣な描写が必要だったのか?

実は、こうした悪評の出典はほぼ『日本書紀』に限られ、『古事記』ではまったく触れられていません。
しかも、武烈天皇には子がいなかったため、王統は断絶。
そこで次に即位したのが、「応神天皇の五世孫」とされる継体天皇──北陸から突如現れた人物です。

あくまで一説ですが、新王朝の正統性を高めるために、前王朝を意図的に貶めたのではないかという説があります。
“前王を最悪の暴君に描けば、新王は正義の救世主として際立つ”──これは政治的に非常に都合のいいストーリーです。

さらにいえば、これは現代の私たちにも通じる話です。
もしも将来、人類が滅びたあとに私のブログ「ふらり史跡と街道と」だけが残ったら……?
その内容が、“ホモ・サピエンスの正史”として引用されてしまうかもしれません。
冗談のようですが、それくらい「記録」というものは危うい。

だからこそ、今ある史料をそのまま鵜呑みにするのではなく、
「誰が」「なぜ」「どうして」それを書いたのか、という視点をもつことが、歴史を読み解く鍵になるのです。

武烈天皇は本当に“悪”だったのか。
それとも、都合よく作られた“悪役”だったのか。
整然と守られた陵墓の前で、静かに問いかけてみると──
かつての王の姿が、ふっと違ったかたちで浮かび上がってくるかもしれません。


武烈天皇陵は、奈良県の橿原市に位置し、孝霊天皇陵や顕宗天皇陵も近隣にある古代史の重要エリアです。
下記の地図を参考に、歴史のミステリーを訪ねてみてください。

「史実」と「創作」の狭間に立つ静かな陵墓。
あなた自身の目で、その空気を感じてみてください。


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